「どうして私と結婚しようと思ったの?」
夫に聞くと
「う~ん、ちょうど良かったんだよね」
(何が?)
「おふくろが、僕が長男だからずっと地元の子がいいって言ってたしね」
(それで?)
「背も俺より低いし、学歴も普通だし・・・」
(それだけ?)
「おふくろが、この子がいいって、とても気に入ってたんだよ」
「明るいしね」
そんなものかも知れない。
私が夫と結婚を決めた時の心持ちよりも、夫は周りにすすめられるまま、『こんなものかな』『おふくろも気に入ってるし』というニュアンス方が強い気がした。
『絶対にこの人でなくては!』
という精神的な繋がりの強い気持ちや、
『この人の側にいて助けてあげたい』
という気持ちとは少し違ってたんだと思う。
『この子だったら自分の言うことをよく聞きそう』という方が近いだろう。
ふた言目には「あんたは俺と結婚して本当に良かった」と言われるから「そうね」と家庭の平和のためにそう答えておく。
毎日、作った料理に文句をいう夫のことを、私が心の底から「この人と結婚して良かった」と思ってると考えている夫の感覚とは隔たりがありすぎて埋められない。
それでも、私は、あの婚約した時の夫を信じて、心を通わせようと努力もしてきたが、夫が私に歩みよることはない。
私は理想が高すぎるのだろうか・・・
もともと人同士がわかりあうのは難しい。でも、わかろうとする努力は必要なんじゃないだろうか。
『作った料理を文句を言わずに食べて欲しい』
これだけでも私のストレスは軽くなるのに、もう、鼻歌のように文句をつける。
小さい頃からの習慣としか言いようがない。甥っ子も一緒。
結婚してからも甥っ子と一緒に食事に行ったりしたが、
「わ!何これ!げっ!気持ちわりぃ!」
好ききらいが多くて、料理した人がすぐ側にいるかも知れないのに、その傍若無人さときたらなかった。
こんなに大人がいるのに、誰も叱らないことに、また驚いた。
「文句を言わずに食べてちょうだい」などと言おうものなら、ぶちキレるので、もうあきらめて言わないようにしている。
「文句くらい言わせてあげてちょうだいな」
とお姑にたしなめられる。もうどうしようもない。
夫が私に歩み寄っていると考えられる行為のひとつは「買い物」だ。
お姑が、子供が不平不満をいうと、すぐに何か買い与えたように、私に高価なものを買ってくれる。
『物でも買い与えて黙らせておけ』的な考え方だ。
相手の気持ちなどどうでもいいのだ。
社宅での新婚生活は、まだまだ不安はあったが、それまでの毒母との支配された生活から解放されて、とても気持ちが楽になった。
とくに、振り込まれたお給料は
「上手にやりくりしてね」と任されていたから、何か、買うときに、それまで感じていたストレスを感じることなく自由に買い物ができたのは大きかった。
それに、小川家はお出かけが好き。
休みになると、とにかく外に出かけた。
住んでいる社宅から1時間も車を走らせると、全国からも押し寄せるような観光地があちらこちらにあり、実家で出かけることがほとんどなかった私は、知らない土地の有名な名所を訪ねるのは、本当に楽しかった。
お姑が特に私のことを気に入ってくれた、というのは、私がその時代、飛ぶ鳥を落とす勢いの金融業界に勤めていたからというのもある。
持参金300万くらい持ってくると思っていたかも知れない。
それと、父が真面目な国家公務員、母はとても社交的でいいもの好みで見栄っぱり・・・
と来たら、お姑の華麗なる経歴の兄弟や従兄弟達の前に出しても恥ずかしくない立派な調度品のお嫁入り道具や宝石や着物の数々を、見栄っぱりな母が揃えて持たせるだろう・・・そんな思いもあったのだろう。強く勧めたらしい。
それなのに
「あすみさん、これはどうしたの?」
不便な社宅生活の暮らし - あすみとモラハラ夫との13000日
私にはお嫁入り道具がどんなものかさっぱりわからなかった。
普通の母娘だったら、いろんなことを教わりながら一緒にお買い物にいったり必要なものを揃えていったりするのだろうけど、
母は「全部こっちがせんといかんのに!」
「私らは戦時中、弟達に教育を受けさせるために、自分のことは後回しにして家にお金を入れて、協力してきたのに、何かね!」
と、私から絞れるだけ絞ってお金を家に入れさせておいて、「結納金が少ないから、たくさんすることはないね!」
と、「後は知~らない!」という感じだった。
トラブル好きな母のせいで、結婚そのものがなくならないようにするのが精一杯だった。