あすみとモラハラ夫との13000日

毒親育ち モラハラ夫 エッセイブログ

モラハラ夫との子育て


モラハラ夫の食事編

第一子が出来て、ひどい悪阻に悩ませられながらも順調に8ヶ月を迎えた頃、相変わらず、炬燵のテーブルに一品ずつ並べるスタイルは変わらなかった。

が、お腹が大きくなってから、立ったり座ったりはかなり負担になっていた。

そんなある日の食卓、悪阻が気持ち悪く、酒の肴の買い物も大変だったが、お刺身をだしておけば、とりあえずはなんとかなったので、それと、おかずといつもどおり、一品一品だしていた。
いつにも増してお酒がすすむ夫が、また「燗つけて」と言ったので、「飲みすぎると体に悪いよ」というと、

持っていた盃をカチャンとテーブルに打ち付け、「もうええわ!」

「なに?」
何が気に入らなくて怒っているのか、こっちは訳がわからなかった。が、
「人が気持ちよく食べてるのに!」

と怒鳴り散らして、作った料理はそれからいっさい手をつけなかった。そのカチャンという音が私の中の何かに響き、繋がったのかも知れない
(実家に帰ろう)



翌日、実家の母に電話して、体調が思わしくないのを理由に、お産の予定よりひとつき早く実家に帰ることにした。
もちろん、激昂しないように、親から電話をしてもらった。


お産後もひとつき実家にいたことを計算すると、3ヶ月は夫のところから離れたことになる。
『お産だから』と言う、大義名分はあったものの、夫の世話から遠ざかったことで、気持ち的に楽になった一方、何故か、後ろめたい気持ちにもなっていた。

今だから言えるけれど、それは夫の『洗脳』に近いものがあったのだと思う。



子供が生まれて、夫のいる社宅で、また生活が始まった。
夫は、自分でも「子供好き」と言っていたように、よく抱っこしたり、お散歩に連れていってくれたり、よく可愛がってくれた。

やっぱりいい人
たまたま機嫌が悪かっただけなんだ
誰にでも機嫌が悪い時はあるもの


そう思うように努力した。
何にしても、私には経済力がなく、独立できないからには、夫の要望に従うしかない。
それに子供もできたことで、(今までとは、違ってくるかも知れない )そんな淡い気持ちもあったし、私はとにかく、夫の機嫌を損ねることなく、努力するしかないと考えた。


夫は出張に行くと必ず、お土産を買ってきてくれた。また、お誕生日には花束やプレゼントを。

義母は
「幸司(仮名)みたいに優しい人はいないよ?」
と、時々かけてくる電話の向こうでそう言った。
(これが優しいということなのだろうか)

義母が言うことに疑問が浮かびながらも、子供が生まれてからは、生活が一変し、悩んでいる暇などなかった。

相変わらず、低いテーブルに胡座を組んで一品ずつ食べるスタイル、子供が成長し、テーブルを伝い歩きするようになった時、
「ちゃんと捕まえてろよ!ゆっくり食べれないじゃないか!」
突然 激昂した。

「はいはい」
子供をぎゅっと抱っこしたまま、食べ終わるまで離さなかった。
食べ終わると、そのままテレビを見ながら水割りを飲んだ。
私は子供を抱っこしたまま、或いはおんぶしたまま立って食べるしか方法がなかった。


社宅の奥さん達とお茶を飲む時は、子育ての悩みを話す。
「伝い歩きし始めたからゆっくりご飯が食べられないよね」
「うちは主人が、子供みててやるから、ゆっくり食べたらって言ってくれて・・・なんか嬉しかった」

よそは旦那さんがそんなふうなんだ・・・

また、最近続く夜泣きに「2時間抱っこしたまま、泣き止まなかった時には、よし!変わろうって旦那が変わってくれて、なんか泣けてきた」


「おい!黙らせろ!」「泣かせるな!」それが夫だった。一晩中泣き止まない子供を抱いていたっけ。

義母に話すと
「あたりまえじゃない、あすみさん、幸司は働いているのよ!少し思いやりを持ってあげてちょうだい!」

やっぱり私がおかしいのかな・・・

負のスパイラルから抜け出せなくなっていた。