「ない!」
「ない!」
「どこにやったんか!」
何かもの探す時に決まってこのフレーズが飛び出す夫
「何探してるの」
「この間、クリーニングに出してって頼んどいた黒いズボンがないんだよ!どこにしまったんだ!」
クリーニングから帰ってきたら、玄関横のクローゼットにそのままかけるようにしている。
2階にもちゃんとしたクローゼットはあるけど、持ってあがるのがめんどくさいし、とにかく、夫の洋服は古着屋みたいに、山のようにぶら下がっていて見るだけで嫌になる。
「いつものとこにかけてあるでしょ」
「どこかね!ないんだよ!ああ!ちょっと見てくれよ!」
テレビの声が聞こえないくらいの怒鳴り声
苛立ちがマックス
めんどくさーと思いながらソファーから立ち上がり玄関横のクローゼットをみる。
「このこと?」
真ん中らへんにかかっていた黒いズボンをサッと差し出した。
「そうだよ、これだよ!」
「あるじゃん」
小さい声で呟く
モラハラ夫は絶対に謝らないことわかってた。
ありがとうくらい言えばいいのに
クローゼットの中は子供のものもあったし、私の洋服も2.3着かけていたけど、探しだせない理由が
「子供らの洋服掛けすぎなんだよ!」
とか、
「しまえよ!こんなあんたの冬物!こんなのがあるから狭いんだよ!」
と難癖つけることが多かったけど、実際は
モラハラ夫は物を『探しきれない』『見つけられない』
それは、性格もあるのかもしないいけど、幼い頃の
生活環境が大きく影響していると、私は思っている。
義母が義姉の子、幼かった甥っ子の可愛いがり方に、ちょっと疑問を感じていた。
その時は、私もまだ、20代、子供はまだいなかったから、ただ、(うちとは違うかな)くらいのことで、よその教育というスタンス。
義母と義姉、とにかく子供を叱らなかった。
レストランで走り回って、他のお客さんがあからさまに嫌~な、顔をしても何も言わないから一緒にいる私がはらはらした。
騒ぎをおさめるときは必ず、
「アイスクリーム買ってあげる」
とか、デパートだったら誕生日でもないのに、
「どのおもちゃが欲しかったんだっけ?」
と結構な値段のおもちゃをすぐに買い与えた。
じゃあ、私自身がちゃんと子育てができたのかと言うと、違うかも知れないが、ここで言いたいのは、
『周りに迷惑をかけている』という自覚がないまま物を買い与えることで、問題をすり替えている と言うこと。
愛情=物
何をしても身内が尻拭いしてくれる=人のせい
悪いことをしている自覚がない=反省しない
「ない!」と言えば
「ここよ」と義母さんがすぐに出して
「ない!」と言えば
「はい」と義母さんが見つけて
そして機嫌が悪くなると、すぐに物を買い与えて満足させて、問題をすり替えていたのだろう。
小川家は物で溢れ返っている
(あのとき、あの場面で、どういう理由で買った)
という意識がないから、同じような物を買うが本
当に欲しいものではないから、その存在を忘れる、そして溢れる。
また、同じような物を買う。
たぶん、それを繰り返してきたのだろう。
『探す』『見つける』は子供の時からの習慣だと思う。