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モラハラ夫に札束を叩きつけられた話


結婚して30年あまり、別れなければこれからもモラハラ夫と暮らして行かなければならず・・・



今日はモラハラ夫に札束を叩きつけられた話です


私は5年前まで、専業主婦でした

4人も子供がいて、それぞれ大学に(それもみんな私立 末っ子はまだ2年生だけど)に行かせたから、たぶん恵まれてるんだと思う。

たぶん夫はサラリーがすこぶるいいほうだと思う
ボーナスが出た時には、自分の小遣い用に30万円持って行ってましたよ

生産性を求められる企業なので、業績がよければ賞与がいいけど、悪ければそれなり、リーマンショックの時には振り込みゼロだった。

ちょうど長女が大学生のとき、学費が払えなくて急遽 銀行で融資してもらったっけ


それから、長男が大学続いて次女、そして末っ子の次男と次々、家をでた。

夫は国立大卒なのに、4人とも、ぱっとせずに、高校も公立落ち組でそんじょそこらの私立。

「あんたの頭に似たんだよ!」

そりゃあそうかもしれないけど、みんな私に似て性格はいいから良かった と私は思っている



4人いると、学校のことで手一杯だった
早朝の部活の送り迎えや、放課後は塾に送りにいったり、それぞれ同じ学校に行ってたわけじゃなかったので、長男は東に、次男は西にと、夫のおかずを作り置きするその合間の時間に奔走した。飲み助の夫は夜に塾の迎えになど行くはずがない。

洗濯機や食洗機、昔と違って家電製品は進化をとげているはずなのに、昔より今の主婦の方が忙しいのは何故なのだろう
と、考えると、昔にはなかったこの送り迎えが主婦の負担増となっているのだ。


子供の学費や塾代、住宅ローンで手取り45.6万のお給料は綺麗になくなっていた。


(働かなくちゃ お金がない)

そうは思っていたが、ここは慎重に事を運ばなければと考えていた。


私が
「働きに出たい」と言えば、
「あんたが勝手に働きたいと言い出したんだろうが」

こっちが頼んだわけじゃない 的な態度で、今でさえ、何の協力もしてもらえないのに、家事全般をしたその上に仕事や子供達の学校の事などで手一杯、その上仕事など、とんでもない。

夫から「仕事をして協力してくれ」
と言われるまで、残高のない通帳とにらめっこしながら長らく待った。

基本的にお金の管理は私がやっている
ここが命が繋がったところだ。
モラハラ夫と暮らしている奥さんの中には、生活費までも管理されてどうしょうもない人もいる

夫は細かい計算ができないのだ。

第一部上場企業の管理職で業績も良いときもあったので、家族が暮らしてこれたのは夫のおかげ
経済力のない私はそれと引き替えに我慢を選択したのかも知れない。

「働くことを考えてくれ」
そう言われて、50を過ぎて量販店の派遣で働くことになった
手取り11万円

役職定年で事実上、役職を外れてからは収入が半分になり、私が働いてもとても追い付かなかった。

それなのに、役職の頃と変わらずに月に50000円のおこづかいとボーナスで300000万円持って行かれた。

(春はなんとか学費を納められたが、秋は払えない・・・もう、相談するしかない、子供達のことだ、きっと解ってくれるはず・・・)


お給料日に出たおこづかい50000円を渡した。
夫はお財布を取り出して、この前のボーナスのおこづかいと一緒に財布に入れようとお札を数えだした。
「1.2.3・・・」


勇気を出して切り出した。

「幸司さん、もう、学費を払うお金がないの。おこづかいを50000円から30000円に減らしたら駄目かしら」

恐る恐る切り出したら夫は、みるみるうちに顔が真っ赤になり、その唇はわなわなと震えだした。

「おまえは俺を馬鹿にしとるんかあ!!」

そう言って数えていた札束を鷲掴みにしてバシッと私に投げつけた。

目の前で札束が舞った。

「じゃあどうするの?」

「知るか!自分で考えろ!」

都合が悪くなると怒鳴り散らして終わった いつもと同じ



夫婦って困った時に、話しあったり助けあったりするもんだと思っていた。

モラハラ夫は褒め言葉や、自分にとって耳障りのいい言葉しか入らない。会話が成り立たない。

 

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