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モラハラ夫の冷酷と異常性


とても良いブログを見つけた

こころの声に耳をすませて

周りに説明しても、到底理解できないであろうモラハラ夫との異様な生活に苦しみ、もがき、ブログの中で情報を得、今は離婚し、自由な世界へと踏み出したウメさんのブログ。

モラハラ夫の性質や特徴をよく描かれて、ただの悪口になっていないところが読んでいて納得させらる濃い内容です

もう、皆さんは知っていらっしゃるかな


2年前にネットの中で『モラハラ』という言葉を見つけ、専門的に解説しているブログにも出会い、(えーこれだ!)今まで周りのどんな知識人に相談しても、冗談や軽い家庭不和としか受けとめられなかった。この言葉にいきついたそれだけで、どんなに気持ちが救われたかわからない


そしてブログの中の筆者は、モラハラ夫の残酷で醜い仕打ちに我慢し暮らして離婚に踏み切るまでの壮絶な過程をブログに綴っている
みんなどんなふうにして離婚に踏み切っているのだろう。

いろいろ読んだけど、私との決定的な違いは、みんなまだ『年齢が若い』ということ。

上で紹介したウメさんも、遡って数えてみると、今現在 51歳

離婚した時が40歳前だから、今はまたどこかで素敵な男性と出会って一緒に暮らしているかも知れない。

若くして今のおかれている状況がおかしいとわかり、ネットで情報を収集して、若いから離婚にも踏みきれたのかも知れない。それにウメさんもゆうかさんも子供さんがいない(?)
子供さんのことが出てこないからいらっしゃらないのでしょう。

マヨネーズ事件の彼女は小さなお子さんを抱えての離婚

さて、わたしは・・・

どういう選択が良いのだろう



今のままだったら、贈与でもらった財産が底をつき、自身での経済力がなくなり、夫に頼らざるを得なくなり、モラハラ夫のあり得ない、突飛な要求を押し付けられ、のたうち回り、這いずり回って一生を終えることになるのだろう。



アイスクリーム事件以来、夫は少し変わった(ように見えた)
何を作っても、例えば焼き魚だと、

「焦げ目の付き方が悪い」

羽根付き餃子を焼けば

「一度にたくさん焼けるようにもっと詰めて焼けよ 二度手間だなあ」

と言ったかと思うと

「こんなに詰めて焼いたら箸がはいらないじゃないか!取れないだろう!」


「この前、たくさん焼くように詰めて焼けって言ってなかった?」

モラハラ夫にはその都度 変わる『俺様ルール』
があり、今言ったことが、すぐに180度変わったりした。これはモラハラ夫の特徴だ、

お味噌汁を出せば、

「熱いじゃないか、あんたは俺に火傷おわそうとしただろう!」

と怒鳴られ、

またあるときは
「ぬるいじゃないか!」

と怒鳴った


最近は

「あら おかしいことを言うのね 熱かったら ふうーっふうーって冷ましてから飲べばいいことじゃん」

と笑って返した。

あくまで、誰かいる時。


子供達が出ていってから、また、実家の財産分与があってから私は遠慮せずにものを言うように努めた。
それは、老後 夫と向かいあって生きていくには、お互いに『嫌』と思うことを伝えて努力していけば、きっと良い方向に向かうんじゃないかと淡い期待をしていたから。

今までは怒鳴り声をあげるとすぐに明るく「ごめんなさい」と明るい貞淑な妻を演じてもきたが、『モラルハラスメント』『自己愛性人格障害』という、言葉を見つけてからは、夫が寝静待ってから、ブログ内を何時間とかけ巡り、その体験談や対処法など、隈無く探した。


4人も子供がいる以上、社会的な責任が伴う。
最後の子供が自立するまで、あと3年余り

「気に入らないなら自分で焼いたら?」

あくまで、冗談ぽく。
この日は隣に、休みで帰っていた次男がいたから
怒ることはなかった。
モラハラ夫は子供、特に長男には弱く、やっぱり、少し子供に遠慮していた。


それは、モラハラ夫自身が『長男』として、それはそれは大切に育てられたからだろう。


この間のお盆のことはあったけど、
www.hyumama.com



アイスクリーム事件以来、夕食は「美味しかった」と言うようになった。

この2年の間、時々キレることはあったけど、現役の頃のことを思えば、我慢できないこともなかった。
なんせ、働きに出たことで、私自身の世界が広がり、社会的にも評価をいただいて、今までのモラハラ夫から徹底的に下げずんだことを言われていたことが(そうじゃないんだ)とも捉えるようになっていた。

近所の友達にも
「定年退職したら柔らかくなったっとかって聞くよ?きっと働いている時にはストレスがたまってたんよ」

そう言われて そうだと思っていた。

ところが

「来年3月で辞めるわ」


さっーと血の気が引くような思いだった。
なんか悪い冗談でも言ってるのかと思った。

いつものように薄ら笑いを浮かべて
「もういいよ」

「俺 嫌だよ」

仕事は嘱託にしたら9時から4時までの土日、祝日休みで22万円の高給だ。
しかももう辞めてくださいと言われたのならともかく、「続けてもらえませんか?」

と言われているのに・・・。

「じゃあどうするの?私だけのお給料と2ヶ月に一度の年金ではとても生活できないよ?」

「知らないよ!」


都合が悪くなるとすぐに「知らないよ!」
とキレた。

今まで、様子を見ながらおとなしくしていたのは、この 理不尽さを私に叩きつけるためだったんだと思った。

私立大学、あと2年、或いは 3年、努力の末に、少し背伸びしてやっと入った大学、なんとか子供には
卒業してほしい

奨学金は月に3万円もらっている

少し増やした方がいいのだろうか?どんな不況になるかわからないから奨学金はなるべく増やさずにおこうと思っているのに・・・。

「もっともらえるところを探せばいいじゃないか」

冗談ぽく笑いながらそう言ったがその眼は恐ろしく冷酷に光っていた。

 

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