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モラハラ夫との食事は戦闘


昔、一緒に社宅に住んでいた友達と会った。
2年前に、十数年ぶりにあったあの時と変わらない綺麗な彼女だった。

2年前にもちらっと夫の話はしたが、話しの途中で突然、激昂することや、食事についていちいち文句をつける夫のことを話すと、夫を知っている彼女は俄には信じられないという様子だったが、向上心、向学心共に豊かな彼女は、あれからどうやらいろいろと情報を仕入れたようで、『モラルハラスメント』というのがどういうものなのかを熟知していた。

彼女は昔からそうだったが、離婚に積極的だった。

お店も経営して仕事も順調にいき、2人の子供も自立し、自分自身に経済力があったために、もし、自身がそのようなことになったとしても、なんら心配はいらないだろう。

私はどうだろうか?

ただの派遣社員

同じ社宅に住んでいた人の様子も聞いたけど、幸せかどうかは別にして誰も離婚している人など、いないそうだ。

外見はともかく、みんながどんなふうに家の中で生活しているかどうかなんて、私が夫のモラハラに頭を悩ませているということが、皆に知られてないように、他人にはわからないこと。

ここで、私が『離婚』したとしたら、それは誰も予期しない、退屈な田舎生活の格好の噂の種となるだろう。


今の時代、3人に1人は離婚経験者で、昔のような偏見など薄れてはいるが、できれば、子供達の結婚式には仲のいい熟年夫婦で揃って出席したい・・・そんな気持ちもあったし、独りになれば、今のような暖房器具をつければすぐに部屋が温まるような家には住むことはできないだろう。

離婚に対するマイナスイメージばかりが先行して、これで、いつもの日常が始まると、また、夫のアメとムチの使いわけによる生活が当たり前のようになり、私の思考を鈍らせてしまうかも知れない。

苦しいことばかりだったか?

いやいや夫は優しいときもあった。
何よりも、子供が好きだったから公園や遊園地など、お弁当を持ってよく遊びにでかけた

船に乗っていた昭和一桁生まれの実父には、こんなところはなかったから、子供の成長とともにあちらこちら連れてってくれた夫は頼もしかった

それなのに、どうして私は今、離婚か別居かを眠れないほどに頭を悩ませなければいけないのだろう。

モラハラ夫の特徴でもあるモラルハラスメントの夫には、『反省』というものが、まるでなかった

同じ屋根の下で暮らす以上は、たまに意見の食い違いも、衝突もあるはず、そこで、お互いに反省すべきところは反省し、改めるところは改め、認めあえるところは認めあい、向上して乗り越えていくべきと思うのに、モラハラ夫はただ一方的に文句をいい、非を責め立て、人のせいにし、相手が謝るまで罵った。

そして謝らないとそれはずっと続き、体じゅうから怒っているオーラを噴出した。

とにかく、怒りを収めないと子育てする私がとても疲れた。
謝るのに疲れるから日頃からどこでスイッチが入るかわからない夫の機嫌を損ねないよう、顔色を見るのが当たり前のようになり、とくに晩酌をする夫の晩御飯は私にとって戦闘開始の心地に近く、朝、子供達を連れて公園で遊ばせていても、頭の中は夫の晩御飯の買い物の算段で頭がいっぱいになった。


どんなに沢山作っても、どんなに完璧に作っても、重箱の隅をつつくように文句を言った。

あれは、心機一転マイホームを建てて間もない頃だったから下の子供達が小学校低学年の頃だったんだろう。

昭和一桁の戦後の混乱を生きた父が私によく言っていたこと。

「戦後は食べるものが何もなく、芋ばかり食べていた。今は豊かになった。食べ物に文句を言ってはいけない。好き嫌い言わずに野菜やお米を作った農家の人達に感謝していただかなくては罰があたるぞ」

そんな教育を受けた私は、苦手な物もたくさんあったけど、何でも好き嫌いなく食べられるようになった。

モラハラ夫があんまり文句ばかり言うので、子供達の教育にならないと思い、

「文句言わずに食べてくれない?子供達が真似するじゃない」

とお願いしたその時、恐ろしいほどの怒りのスイッチが入った

「文句とはなんだ!文句とは!文句じゃないやないか!黙って食べれって言うんか?!俺は囚人かぁ?!囚人みたいに黙って食べれって言うんか!
お前らもどんどん文句を言えよ!嫌なものを嫌とはっきり自分の意見を言うのは大事なことだ!」

持っていた箸を私の方に向けて突くような仕草をしながら大きな吠えるような声で持論を展開した。

おかずを食べても砂を噛んでるみたいに味はしなかった。
晩御飯の時間は毎晩 殺伐として強いお酒を混ぜて飲ませて早く酔わせ、寝てもらうように努めた。

また、子供達と夫の食事時間をわざとずらして帰ってくる前に子供には2階に行ってもらうようにした。

車が着く音がすると、「帰ってきた!」と2階に上がらせた。

今考えてもおかしな夕食風景

そんなふうに過ごしていた私と子供達に神様が少しばかりの休暇をくれた。

 

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