あすみとモラハラ夫との13000日

毒親育ち モラハラ夫 エッセイブログ

予期せぬ海外単身赴任生活の終わり


モラハラ夫の海外赴任は4年間の予定でした。海外赴任すると、お給料がほぼ倍になりますから、4年間滞在すれば、4500万円で購入した家も、全額は無理としても8割方返すことができます。
まだ、子供達が幼い今は係る教育費もさほどではありませんが、中学、高校と年齢が上がるに連れて桁が違う出費になります。
今のうちに住宅ローンは早く返済してしまいたいと思いました。

そういう、金銭的なメリットももちろんですが、一番嬉しかったことは、どこで、怒りのスィッチが入るかわからない夫と離れ、朝から晩まで、夫の食事のことで頭を悩ませる必要がなくなったことです。

広いクィーンサイズのベッドに一人で寝て、目覚めた時に見たダウンライトが組込まれた高い天井を見上げ、(ああ!何て自由なんだろう)と、涙が出てくるほど、心が充満していく気持ちになった記憶があります。

でも、子供達はまだ、小学1年、3年、4年、そして中学生です。
朝から大忙しでしたが、そんなこと比べものにないくらい、怒鳴られない、食事に文句をいわれない、
無理難題を押し付けられない生活は、変えがたい今までの結婚生活の中で輝かしい宝石のような時間でした。


単身赴任準備で月の半分はいない日が続きました。
赴任先から帰ってくる夫は、今からの新しい地での仕事に意欲満々で、上機嫌で帰ってきました。

そして、日本に4.5日滞在し、また、海外へ

赴任先では住むマンションも決まり、黒塗りの車が玄関口まで、迎えにきて、また、通訳もつき、モラハラ夫のプライドを満足させるに十分なシチュエーション。

そんなこんなで、単身赴任生活が始まりました。
4年の任期でしたが、1ヶ月に1回は会社から交通費が出て、日本に戻ることができました。

子供達にも、いつも、お土産を買っきてくれて、久しぶりに会う子供達との時間がとても癒しになっていたようでした。
そして、また2.3日してすぐに私に対する怒りをぶちまける前に赴任先へ戻るので、精神的にとても楽な日々でした。
もちろん、まだ、幼い子供達との生活は忙しいばかりですが、それを差し引いても毎日の生活が精神的にとても楽。


「1度、どういうところに住むか見とくといいよ」

夫が海外の赴任地で、どういう人達と仕事をし、どういうところに住むか、今からお世話になるであろう、使用人の人達にもやはり、日本人として、妻として挨拶をしておかなければならないだろう。

まだ、元気だったお姑に留守をお願いして、海外単身赴任の生活の場をみにいくことにしました。



高いタワーマンションの、何階だったか忘れてしまったけど郊外のマンションは深い緑に囲まれ、眺めが良く、その地区だけ、海外からの単身者が多く住む環境の良いエリアだった。

夫の部屋は広かった。
重い扉を開けると見上げるような天井で、靴を脱ごうとしたら夫が間に合わせに買った玄関マットがペラペラと安っぽく見える、床は大理石。

「靴は脱がないよ、日本じゃないから」

玄関を入るとすぐ横にある扉を開くと書斎になっていた。
広いデスクに仕事をしていたのか、パソコンが開いたままで、作りつけの本棚には、私にはよく理解できない難しそうな分厚い本が並べられていた。

リビングは南向きの大きな窓で、天井から吊るされたカーテンを閉じたり開いたりするのが、ちょっとめんどうなくらいに重みを感じた。

自分でお料理をすることはなかったが、ポットでお湯を沸かしたり、コーヒーを飲むことはしたのだろう。キッチンは無駄なくらい広かった。


いつも通訳をしてくれている、現地でお世話になっているご夫妻にも会って、夜はそちらでご馳走になり、翌日は街を観光した。

高級なブティックが並ぶお洒落な街並みが続く。高級なバッグやコート、ちょうど、今からの冬に向かっていく時、オーダーでコートを作っているお店で、
「いいよ ちょっと余裕があるから買ってあげるよ」
と、コートとスカートをオーダーした。

百貨店の中のマックスマーラで似たようなコートを見たけど、80万円の上代がついていたような気がする。
もともとお金を使うことが好きな夫、きっと海外赴任でお給料が増えたのだろう。
お言葉に甘えて買ってもった。

1年のうちに観光旅行も兼ねて2回ほど訪ねた。

長男の部活動が忙しくなる、中学に上がる前に子供達と一緒に行こうと、7月の夏休みにと旅行を計画した。

「7月の旅行のことなんだけど・・・」

携帯に電話をしたように思う。

「ちょっと待ってそれ」

「え?忙しいの?」

「もう、5月に日本に帰ることになったから」

予期しない言葉に慌てた

「へ?なんで?」

「・・・まあ、上層部が入れ変わって、編成しなおしたからね」

「・・・」


4年って聞いていたのに、たった1年半未満で帰国とか、住宅ローンの返済もだし、何と言っても、またあの戦闘のような食事が始まるかと思うといっきょに重石がのしかかるような気分になった。

「え~っ」

思わずため息のような返事をしてしまった

「何それ?僕は喜んでくれると思ったのに!なんだよそれ」

電話で良かった

眼の前にいたら、また胸ぐらつかまれて揺すられるところだ。

「だって幸司さん、食事にうるさいんだもん、せっかくいない間に子供達が文句言って食べないよう躾けたのにぃ」

これが、私の心からの叫びとお願いだった。

でも、モラハラ夫はたぶん、そんなこと何も意識してはいない。
食事に文句をいったことがないと思っているはず、

たぶん小さい頃からの生活で、好き嫌い、文句言ったとしてもすぐに母親が作り直したり、違うものにすり替えていて、それが当たり前のようになっていたに違いないので、私の言ってることがよくわからない感じだった。


以前、義母に
「幸司さん、食事に文句ばかり言って、本当に困ってるんですけど」
と義母から言ってもらおうとしたこともあったけど、
「あらっま、いいじゃない~文句くらい言わせてあげてちょうだいよ、あすみさん」


夫はしらあえとおからが大嫌いと聞いていたので、作ることはしなかったのだけど、おからが大好物の私はたまには食べたいと思い、スーパーのお惣菜コーナーで、私用に小さなパックをひとつだけ買ってきて、お夕飯を食べる時に器に盛って私のところに
置いた。

食卓につくなり、

「ああ~!何かあ!おからやないか!」と怒鳴った

「幸司さんにはないよ、私だけに買ってきたんだから。私はおからが好きなのよ、たまには食べてもいいでしょ」

「何かあ!おまえ、俺に喧嘩売っとるんかあ!」

この日はこれが、戦闘開始となり、終始おからのことの文句で終わったので、これはこれで良かった。

翌日、やはり義母に電話をして
「おから出したら、おまえ、俺に喧嘩売っとるんかあ!とかいうんですよ」

普通、そう聞いたら、
「いつまで、好き嫌い言ってるんだろうね 文句言わないで食べなさいって言ってたって伝えてちょうだい」

と私の感覚ならそう言ってそうなのに、

義母は

「まあ~あすみさん、駄目よ嫌いなもの出しちゃあ
好きなものだけ食べさせてあげてちょうだい~」

親子共々、つける薬がなかった。

またそんな戦闘のような繰り返しの食生活が始まるかと思うと、げんなりだった。