モラハラ夫から脱出したゆうかさんがブログに私のブログをのせてくださいました。
とても嬉しいです。涙がでそうです。
だって、水知らずの、顔もみたことない方なのに、モラルハラスメントを理解し、寄り添って下さっていること。
私はまだ、子供達が幼いころ、孤独を味わっていました。
4人の子供達のおかげで、ママ友もたくさんできました。家を行ったり来たりするお友だちもでき、お茶を飲んだり、食事に行ったり・・・
そんな中、他愛のないお喋りで、
「うちの旦那ったらね・・・」
みんな、それぞれ、日頃の不満を言います。
私もここぞとばかりにモラハラ夫の話をしました。
まだ、モラハラという言葉が浸透していない時代、
私は、いつもとっても明るくて元気にしているので、モラハラ夫の悩みを話したところで、あまりにみんなの夫の話しとかけ離れすぎて、ただの笑い話にしかなりませんでした。
実家の両親に相談しても、「男は褒めたらいいよ、上手にね」と言うだけ。義母は「あすみさん、幸司は仕事が、大変なのよ、仕事に行ってる間に休めばいいじゃない」などと言うだけ。
子供達はまだ幼く、食事の度に文句をいう夫に萎縮し、なるべくお父さんと一緒に食事をとらないよう時間をずらすなどしていましたが、土日は一緒になってしまいます。
幼い子供にモラハラ夫のことを理解できるわけがありません。
毎日、戦争を終えたように疲れました。
悩みを話しあったり、慰めあったりするのが、夫婦なはずなのに、食べ終わると2階にいきます。「もう、幸司さんは寝るだけだから、一緒に子供寝かせてくれない?そしたらその間にお茶碗も洗えるし、お風呂にも入れるし」
そんなお願いに「はあ~?何言っとるの!」
と今にも怒りだしそうにいいました。
お風呂に入ったあと、お夕飯が終わり、歯磨きなどして、結局、私が寝かせることになります。
疲れ果てて気がつくと夜中の2時、下におりると、お夕飯の茶碗やお鍋は山のようになったまま、片付けてからお風呂に入ると3時過ぎることもありました。
子供を寝かせる間、夫はテレビを見ているだけ
誰の協力も得られず誰も大変さをわかってはもらえず、私はぐったり、心も体も疲れ果て孤独の中にいました。
言葉が通じない異星人のように私の前に立ちはだかり、気に入らなければ怒鳴り散らし、大きな音をたてて扉をしめました。
でも夫は突然優しくなったりしました。
結婚前に見せてくれた、この姿が本当の姿、きっと仕事のストレスで八つ当たりしてたのかも・・・
そんなことの繰り返しは狭い社宅から抜け出し、広いマイホームを建てたらきっと治るだろう
そんな思いで、新築のマイホームに移り住んだ今も、何も変わらない。
モラハラ夫のいる家庭では、モラハラ夫の喜ぶ話題を提供しなければなりません。モラハラ夫のわからない分野の話しはイライラを募らせるだけ。答えられない事は話題にしてはならないのです。
一度、何かのときに「私は一生あなたの顔色を見ながら暮らさなきゃいけないの!」
とキレたことがありますが、
「ああ!そうだよ!俺の顔色を見ろ!怒らせるな!」
と言われたことがあります。
普通じゃないのに、また優しくなります
私はずっとこのままで、ずっと訳のわからない夫と暮らし、周りにたくさん人がいるのに、ずっと孤独と隣り合わせで暮らして行くんだと思っていました。
孤独から助けてくれたのは他でもない、 4人の子供達でした。
成長していくと共に、周りのお友だちの家に泊まりに行ってよその家庭を見てきます。
「たくっくんち、うちみたいにご飯のおかずたくさんでんよ」
「お父さんが怒ったこと、一度もないんだって」
「お父さん、お母さんが作ってくれたものに文句いっちゃあ駄目よ」
「学校で習ったよ?」
小学校も高学年になってくると、食卓ではそんな会話が出るようになり、夫も、特に可愛がっていた長男の言うことには、何もいうことができませんでした。
子供達が気に食わないことを言うと、掴みかかりそうになったりもしましたが、もう、上手にかわしたり、逃げることもしました。
子供達は成長していました。
そして独立した今、ターゲットは私だけです。
母の遺産は学費をはらうのに本当に助かりました。
なかなか行けなかった旅行もしました。
あと、少し
この調子でやっていけば、学費はなんとか払えそう
そう思っていたのに・・・
お金が減り、底をつきそうなのを見計らってモラハラ夫は言ったのです
「来年の3月で辞めるわ」
と・・・。
みんなで砂場で大きなお山を作り、後はてっぺんに旗を立てるだけ・・・
手を叩いて喜びあおうとするその時に
大きな足でぐしゃりと山を潰す モラハラ夫はそういう生き物です
今はネットの世界で、気持ちを共有する術があります。
2年前に初めてみつけた『モラハラ』と言う言葉に行き着き、みなさんのモラハラ体験にどれだけ救われているかわかりません。