あすみとモラハラ夫との13000日

モラハラ夫と暮らす悩みと苦しみを綴ります

モラハラ夫の満腹中枢

おはよーございます

元プチセレブ、今は派遣社員のあすみです。おまけに還暦前

あの時から私の生活設計が狂ってきたのです

あの時
www.hyumama.com

しゃしゃっと4年で住宅ローンを返したら後は定年までの14年の収入で退職金をあてにしなくても充分、教育費にあてることができたのに・・・

足腰さすりながら7.5時間の立ち仕事、しかも給料たったの11万円

夫の元部下の奥さんとは雲泥の差で
www.hyumama.com

でも、体はきついけど、仕事は楽しい

家では私の一番の得意分野だったはずのお料理を毎日のようにけなされ、やっとの思いで採用になった今の仕事も「おまえは鍵をあけるくらしか能がないだろ」
と言われ、徹底的に『おまえは駄目人間』

みたいなことを言われ続けられてたのに、

会社では私に対する評価が高くて「長く勤めてくださいね」なんて言われると単純にひとさまの役にたっていることが嬉しい。

「社会で仕事をすることがどんなに大変かやってみろよ」

そんなふうに言われて長い専業主婦から正社員として社会に出たのが50も半ば。

身も心もヘトヘトになって帰ってくる私を想像していたのだろうが、楽しそうにしていることが、思い通りに支配下におきたいモラハラ夫には、また、腹立たしいのだ。

だいたい、働き続けられたのは私が、地域や学校の仕事、家のことをしてきたからだ。
結婚してから35年地域の、半年に一度の掃除に出たのは、私が右腕を負傷したときの3年前が初めてだ。それから3回くらい出ただろうか。

その時も「左手ですればいいじゃないか」「2000円払えば出なくていいんじゃないのか」と草取りにしり込みして、なんとか出ずに済むようにしたかったようだが、
「それは、前に住んでた地域のところの話しでしょ?家にいるってわかってるのに、出席しないとかあり得ないよ」

そういうと
「だいたい要領がわからんのだよ」
「釜持って草を刈るだけよ?」

王様みたいに何でも親がしていた家庭に育ったモラハラ夫は草の刈り方もわからないのだろうかと思ったものだ。
社会人として、そこに住む人たちの当然の責務ということを理解力していない
『草刈り』なんていうものは、程度の低い人間のすることで、自分のような偉い人はしないんだ などと思っているのだろう
自分が命令を下す立場の場面じゃないところは無駄なことと思うのだろう。

ああ、情けない

家によっては家族みんなでするお宅もある。立派な家庭教育だ

子供達がこんな父親を真似したら困ったもんだと思っていたけど、部活動のおかげか、今のところ4人ともまともで良かった


そういえば、まだ、新婚の時に、社宅の懇親会でキャンプに行った時、撤収するために、みんながテントをたたんで、片付けをしている時にも、モラハラ夫は片隅に座って鉄板で焼いた残りの焼きそばをすすりながら食べていた。
「小川さんったら(笑)」

社宅の奥さん達は、それを夫の受け狙いとでも思っていたのだろう。

私もその時はそう思っていた。

でも違う

片付けは自分には関係ないと思ってたんじゃないかと思う。
「ここ、暇な時に片付けくれない?」

こちらも気を遣いながら言ってるのだが、この『片付け』という言葉に異常に反応し、怒りのスイッチが入る。
「そんなん、おまえこそ、ここの引き出しの中、いつ片付けたんだよ!言ってみろよ!いつだよ!はん?」

私は「片付けなさい!」と言っているわけじゃない。
私は綺麗好きな方なので、いくらでも労を惜しまず片付けたいのだが、勝手にすると、「勝手にしやがって!」と怒るし、何かなくなると、「おまえが片付けた時になくなったんだよ!」と職場まで電話してきたこともある。

だから散らかっていても片付けられない。
それが、また私のストレスとなる。

ものを整理して空きスペースを作っておくと、何故かそこを埋めるように物を新たに買ってくる。

だからどこもかしこも物で溢れている

このモラハラ夫の『満足』や『満腹』を司る脳の中枢が麻痺しているとしか思えない。


今から結婚を考えている人は、彼の部屋が散らかっていつまででも同じ状態で片付けられないようであれば、それは前頭葉の障害によるものかも知れないと疑っても良いのではなかろうか。


カッターシャツが40枚、ビジネス鞄が15個、黒いビジネス靴下が30足
次から次から同じような物を買ってくるようであれば、満足する脳の中枢神経が麻痺していると疑っても良いのではなかろうか。
寝る間際まで、ずっと何かしら食べているのは、満腹中枢が機能してないからではなかろうか

幼い頃から不平不満を言うと、すぐに義母が違うものを次々買い与えていたのだろう。

結局のところ、本当は自分は何を欲していたのか考える能力が育つことなく、そのまま大人になってしまったのだろう。