あすみとモラハラ夫との13000日

モラハラ夫と暮らす悩みと苦しみを綴ります

モラハラ夫の姉

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こんばんは

来年3月に完全に仕事を辞めてしまうモラハラ夫と暮らすあすみです

まだ子供は大学2年生 それも私立


今日はモラハラ夫のお姉さんのことについて書こうと思います。

モラハラ夫には3歳上のお姉さんがいます。65歳になるはずですが、とてもそんなふうに見えません。

とにかく細いし、いつも綺麗にしているのです。
綺麗なものを扱っている会社勤めの管理職。


一度リストラにあって無職の時が半年ほどありましたが、いわゆる、ヘッドハンティングっていうんでしょうか、お姉さんの手腕を伝え聞いて、他の同業者から呼ばれて今の会社にいる、仕事が大好きな義姉です。


ただ、家庭的にいうと、あんまり、幸せそうな感じはしません。


離れて暮らしているし、夫やお姑から聞くだけの話しで、それだけを聞くと、なんて酷いめにあってるんだろうとか、思いますが・・・一方的な話を聞いても実際のところはわかりませんからね


もう独立した35歳と34歳の息子がいますが、結婚当初から舅、姑と同居で、苦労したようです。

同居でも、2世帯住宅とかにしたら、台所も玄関も別で、ほどほどのプライバシーも守れたでしょうけど、地方では、昔からの家に嫁にいく、みたいな風習のようなものが少なからず、あったのでしょう。

いわゆる嫁いじめみたいなのがあったようです

私も何度かお邪魔したことがありますが、お庭には2台車がついて、大きな池もあり、錦鯉がたくさん泳いで、昔のちょっと見映えのいいお家という感じでした。

1階は玄関を入るとすぐに、若い夫婦が住む部屋へと繋がる階段があり、すぐ右に広いリビング、昔、どこの家でも見たことのある、背の低いカップボードや、見上げるとじゃらじゃらしたシャンデリアがぶら下がり、同じシャンデリア製のライトが壁に埋め込み式についていました。モケット製のソファー、椅子があるのですが、お邪魔すると、皆、絨毯の上に直に座ってしゃべってましたね。

お邪魔した時にはいつもそのリビングだけで、他の部屋をのぞくことはなかったのですが、

いつだったか、5、6年前に、何かの時に、奥までお邪魔したことがありました。

リビングの奥に台所、左隣に8畳くらいの和室、

思いだしました。

リフォームしたから見る?と言われてお邪魔したときに、ついでに見せてもらったんだと思います。

奥は広かったように思います。
台所の奥に洗面所やお風呂場があって・・・

でも、舅や姑と一緒ではなんとなく落ち着かないかも知れません。

「2階見る?」

と言われて、義兄さんと義姉さんの生活スペースにお邪魔しました。


(こんなところによく住んでいるな)
と唖然とした記憶があります。

「よく、こんなところに住んでるなあって思うでしょ」

義姉さんが笑いなから言いました。思っていたことを言われて何て返していいか、思わず口をつぐんでしまいました。


昔の家ですから、今の住宅メーカーのように、総2階建てではなく、4畳半と6畳間 それを繋ぐ3畳くらいの洋間があるだけで、今でこそ、独立していますが、子供2人の勉強机があり、嫁入り道具の3棹の婚礼家具と鏡台、そして子供達が寝ていた2段ベッドと、ここに家族4人が生活していたなんて、想像がつかないくらいの狭さなのでした。

それに加えて、一体誰がこんなふうにしたの!と問い正したくなるくらい、襖は破れ、骨組がむき出し、そこに、いつ掃除をしたかわからないくらい埃がたまり、もう、死んでしまった飼い犬がつけたおしっこのしみが茶色く滲んで・・・。

座る場所もないくらい、物が散乱し、鏡台の机には通勤で着た洋服がうず高く積まれていたので、鏡を見ることができず、こっち向きに置いていた椅子の上に小さな鏡を置いて化粧した後の化粧品が無造作に置かれていたのでした。

ちょっと荒んだ感じに、お姉さんはお家に対して愛着がないんだと、その時思いました。

きっと家の中に自らの居場所を見つけだせないまま暮らしていたのかも知れません。

甥っ子達が子供の頃はパートに出ていたようですが、ある程度大きくなったら、お姑さんに任せて仕事に出るようになりました。

もともと結婚するまで、お米もといだことがないと聞きましたから、家事があまり好きでなかったのでしょう。
そんなお姉さんが魚釣りが趣味でお酒飲みの食通のお義兄さんを満足させるような食事が作れるわけはありません。

それに、正社員の仕事で、帰りはいつも8時半過ぎ。帰ってきたら、もう、家族みんな夕食を終えてくつろいでいる時間です。

義母からの話しでは、帰宅して食べるご飯はいつも冷やご飯で、働いて帰ってくるのに、可哀想と言っていたものです。
お姑さんから、「少しは家のことをしたらどお」というような、同居だとどこにでもありそうないさかいに、お姑に肩を持つ夫との間でも喧嘩が絶えず、やがて家のなかで孤立してしまったのだと思います。

義兄は一人っ子。
小さい頃から自分が親を看なければならないと思っていたとは思います。

地元から一歩も出たことがないのも、親から離れられなかったのだと思います。

義兄は保険のセールスをしていましたが、当時、金融破綻により、会社が傾き、結局52歳で会社を辞めてからは、働かずにずっと家におり、ぶらぶらパチンコに行ったり、自前のクルーザーで魚釣りにいくなど、褒められた生活じゃない毎日を送っていたそうです。父親が船に乗っていたので、年金が高額で(?)自分が働かなくても遊んで暮らせるだけの充分なお金はあったのだと思います。

長男は高校を卒業と同時に社会人となりましたが、
義兄がリストラされた時、次男はちょうど、大学入学で4年間の学費や仕送りを義姉がしたのだそうです。

そんな小さな行き違いが大きな亀裂となり、義兄は家の1階、義姉は2階で、仕事から帰ってくる時間の遅い義姉とは食事の時間も別々の家庭内別居となって、口をきくのは1年に1度くらいになったそうです。

一卵性親子と言われるくらい仲の良かったお姑と義姉。
すぐ近くに住んでいたので、婚家の愚痴を聞いたり相談にのったり、一緒に食事に行ったりで、義姉も心強かったのではないかと思います。


お姑さんには、義姉のことを引き合いに出されてよく言われていたものです。

私がお姑さんに夫のことを相談すると、

「美苗をごらんなさい!お姑さんと同居で苦労して、働かない夫と暮らして仕事して、幸司が1度でも生活費を入れなかったことがある?あすみさんは新しいお家にも住めて、同居の苦労もなく、本当に幸せな生活をしているのよ ちょっとのこと我慢しなさい」

と・・・。

義姉さん、離婚すればいいのに、どうしてしないんだろうと思ってました。
夫に「絶対離婚しない!」
と言い切った訳は、「今、離婚したら損、ここまで我慢したんだからもらうものをちゃんともらわなくちゃあ」

大きな家と土地。そして両親の高額な年金。そして自分自身も、マンションを購入できるだけの貯蓄があるという。

義姉さんは本当に仕事が好きで働いていたんだと思う。そしてこれからも働きたいんだと思う。

義母は夫が働かないからお姉さんが生活費を稼がないといけないと言っていたけれど、それは違うと思っている。義姉さんは誰に何を言われようと自分の好きなことをして生きてきたんだと思う。


新しいお家?同居してない暮らし?幸せの尺度は人それぞれだけど、私は幸せなの?幸せって自分の好きな事を思いっきりできることではないだろうか