あすみとモラハラ夫との13000日

モラハラ夫と暮らす悩みと苦しみを綴ります

モラハラ夫の甥っ子と逃げた奥さん

こんにちは

モラハラ夫との生活に生気を失ってしまいそうな派遣社員のあすみです。

モラハラ夫、今はまだ、働いていて、仕事から帰ってきても、時間差で30分くらいは1人でのんびりできる時間もありますが、来年4月からはずっと家にいることになります。

怖いです。

地域の仕事は今まで全て私がやってきて、夫は地域の人とつながりがありません。

充分なお金もないので、毎日遊びに行くこともないでしょうし、家にずっといて、ストレスを溜めて、仕事から帰ってきた私に当たり散らすのが目にみえるようです。



今日は義姉の2人の息子、甥っ子のことを書いてみます。

長男の方は35歳、高校の時から付き合っていた彼女と結婚し男の子も生まれましたが、2年前に離婚してしまいました。


県外から、結婚前には2人で遊びにきたこともあります。

甥っ子は身長168センチ、並ぶと彼女も同じくらい背がスラッとして細身で、髪が背中まで長く、お顔だちもいい子でしたが今時の若い人には珍しく、少しおとなしめの控えめな感じの娘でした。

第1印象、少し地味かなあともおもいましたが、まだ、小学校一年生のときに、父親を交通事故で亡くし、母一人、子一人で育ったのだとか・・・。朗らかに笑うのに、はじけるような明るさを感じなかったのは、こんなところに理由があったのかも知れません。

それにしても1年生の時に、一家の大黒柱を失った家の生活と言うのはどんなものだったのでしょうか。

近くに祖母にあたる人もいたようで、学校から帰ると仕事を終えた母親が迎えにくるまで、おばあさんの家に一緒にいたそうです。

遅い帰りに、お腹を空かせた娘に夕飯を作る手間もなかったのか、お惣菜屋さんで何か買ってきたものを食べる、それが習慣化していて、甥っ子と結婚した時も、最初は晩御飯はコンビニで買ってきたお弁当を出していたそうです。たぶん『作る』という、発想自体がなかったのでしょう

猫可愛がりしていた長男のお嫁さんとあって、義姉さんも、まだ、元気で同居していたお姑さんも、とても喜んで、お夕飯を作る発想がなかった彼女に手取り足取り2人で簡単なお料理を教えたそうです。

一家団欒という経験のない彼女が、おじいさんやおばあさんのいる6人の家族に囲まれる。
新しい家族が仲間入りしたことで、それまで、ほとんど喋らなかった義兄と義姉も、喋らざるを得ず、ぎこちなさはありながら、賑やかで明るい家族のイメージを与えたことでしょう。


結婚式は青く晴れわたった5月の空の下、住宅団地の中の小高い丘に建てられたスペインの古城をイメージした式場で行われた。
青々とした芝生が茂り、赤や黄色のベコニアが彩りよく植えられて、パティオの中程には白い大理石の噴水から、勢いよく水がアーチを描いた。

春には長男が志望高の不合格で、何かと気が滅入っていた時、晴れやかな顔をした2人の結婚式は50人程の招待客で、お友達がメインのアットホームなぬくもりを感じる、そんな良い式だった。


それからまもなく、男の子が生まれ・・・年の暮れに夫の家に帰省したときには、3人で訪ねてきてくれたものだ。





暫くして、2人がうまくいってないと聞かされた。

夫婦がうまくいかない理由はひとつではない。いろいろな複雑な事情が重なりあって、ある時爆発する。

甥っ子と言っても私は血の繋がりもないので、夫の話をただ聞いていただけ。

夫は甥っ子のことを「本当に素直でいい子」と常々言っていたが、私はそうは思わなかった。

自分の感情に正直なことを素直という言葉に置きかえるので、あれば、素直だったのかも知れないが。



甥っ子の兄の方は義兄に似ていたので、お姑さんが可愛くて可愛くて仕方なかったようだ。

義姉さんは、ちゃんと国立大学を卒業していたのだが、甥っ子はまるで、勉強ができなかったようで、
「一番よくて3、後は行進曲みたいなんだもん~」
と義姉が笑うのを最初は意味がわからなかったが、行進曲のリズムの1、2、1、2という意味とわかった。

公文にも行かせたし、スイミングもさせたし、お習字もならわせたけど、どれも長続きせず、流行りのテレビゲームばかりして、勉強になんら興味がなかったらしい。
それでも、高校卒業時は官の管轄の良いところに就職でき、家族みんな喜んだ。

ところが、上司と喧嘩して僅か3ヶ月で辞めてしまう。そのあと、いろんな伝手を頼って車の整備会社に入り、整備士をするが、不満を口にしてまた辞めてしまう。
そんなことを繰り返して、小さな整備会社に勤めるが、そんなふうだから、収入が良いわけではない。

子供ができても、休みの日には釣りに出かけたりして奥さんの家事に協力してあげて、なかったのではなかろうか。

それにずいぶん後から聞いた話しでは、お給料が少ないので、アパート代は義姉さんと義母さんが半分ずつ払っていたとか。
車好きな甥っ子は新車を買っても、またすぐに車を買い換え、追い金を義姉さんにもらっていたとか。

そんな話しを聞くと、30過ぎの大の男が、まだお母さんやおばあちゃんにお金を工面してもらわないとやっていけないのかと思うと、誰が聞いていても
情けないと感じるだろう。

ある時、甥っ子が家に帰ったら、家財道具一式なくなって奥さんと子供が出ていってしまったことを知ったという。

義姉さんも交えて話しあいの場を設けたらしいが、もう、すでに奥さんの気持ちは固まっていた。


「あいつ、子供産んでからきつくなった」
と言っていたのを聞いたことがある。

女性の方は10ヶ月お腹の中に子供を抱えて、痛い思いをして子供を産むが、男性はある日突然、父親になる。
なんの、準備もなく親になるのだから、女性が主導権を、握って子育てをしていかなくてはならないのは当然と言えば当然のことかも知れない。

彼女のように小さな頃から苦労をしてきた辛抱者が三下り半をつけて出ていったのは余程のことだろう。


義姉さんと話しをした時
「お母さん、もう終わってますよ」

そして最後に

「あすみさんはよく我慢してますね!」

そう言い放って立ち去ったそうだ。


あすみさんはよく我慢してますね (4人の子育てに?)


あすみさんはよく我慢してますね (あんな旦那さんに?)


今となっては その真意はわからないが、もし、どこかで逢うことがあったら、ちょっと尋ねてみたい。