あすみとモラハラ夫との13000日

モラハラ夫とのつきあい方とその対処法

父の愛情

昨日、弁護士事務所に行く前に、父親から「生活費がなくなったから、また持ってきて」と電話があった。

3年前の春に母を亡くしてから半年後に、家をたたんで私は父親をひきとっていた。

私には兄がひとりいる。

住んでるところくらいは知っているが、もう10年以上会っていない。

母のお葬式にも来なかった。
死に逝く母の一番の心残りだったに違いないが、私は、それも母に原因があると思っている。

そのことはまた違う時に話すとして、今日は、昨日、弁護士事務所の帰りに父親のところに寄った話。




父親は90になる。

自立老人専用のマンション暮らし。
わりと近くに住んでいるので、時々覗いている。
毎日歩き、お夕飯はお店でできあいのお惣菜を買って食べたり、また、父の得意なすき焼きを、材料を買ってきて自分で作ったり、時にはわたしが、お味噌汁やおかずを持って行っている。

頭もまだ、しっかりしていて、周りの人づきあいも上手くして本当に助かっている
戦後を生き抜いた昔の人は強い。


私の母は傲慢で我儘放題、機嫌を損ねると怒りを爆発させるので、小さい頃から親の機嫌を窺うのが当たり前のようになってしまった。


昔の女の人はみんなそうだと思うけど、女のする手仕事や、お料理、帽子や単衣仕立てのコートやら作り、編み物は糸から染めて自分好みのセーターやワンピースを編みあげた。
幼い頃に母を亡くした父にとって、料理上手な母の作るものは、何よりの幸せだったに違いない。
そして、母はすれちがう人が振り向くほどに、とても綺麗な人だった。

若い頃は郵便局の窓口におり、母のところだけ、男の人の長い列が出来ていたとか。
町にひとつだけの大きな写真館に母が映った写真が飾られたらしい。

それなのに母は親戚や友達の間でトラブルが多かった。
子供の頃から可愛くて、ちやほやされ、戦後を力強く生き抜くには、計算や忖度をしながら、そのまま、女王様のようになってしまったのかもしれない。
それでも、父だけはいつも母の味方だった。
多少の口喧嘩はあったが、あの我儘な母を牽制しながら、老後はそれなりに幸せに暮らしていた。

母が病気を患ってから、ずっと父が病院にもつきそい、息をひきとるその瞬間まで、傍にいた。
お葬式の最期のお別れの時には棺にすがり、「残念だ 本当に残念だ」と周りを憚らず男泣きした。

我儘でトラブルメーカーな母でも、最期の最期まで、傍らにいて愛してもらって母はとても幸せだったと思う。


父の年金は私が管理し、そこからマンション代や電話、電気代など払い込み、食費として、3週間毎に30000円の食費を渡すようにしている。

父は早くに両親を亡くし、8人兄弟の4番めの次男として貧しく育ったためか、贅沢を嫌い、新しいものを買うことをとくに嫌った。

時々、お茶を飲みかたがた、マンションに寄ると、子供が座るような小さな椅子に腰かけて、
「2人で飲むお茶は本当にうまいなあ」
と、そう言って、ひびの入ったお茶碗でお茶を飲んだ。
「家にいっぱい湯呑みがあるから、持ってくるよ」
というと、
「ええ、ええ、十分に使える」
そう言って、新しい湯呑みを持って行っても持って帰らされた。
着ていた下着のシャツに穴が空いたのか繕った跡があった。
「買ってくるから」
というと、
「上等、上等」
と嫌がった。

こうなったらもう、性分というほかない。
「困ったね」
私がいうと、「ハッハッハ」と大笑いした。


そんな父に弁護士事務所に行った帰り、郵便局からおろした生活費30000円を持って行った。

「何か変わったことはないかね?」

父はわたしにいつもそう尋ねる
「何もないよ、みんな元気よ」

私が夫に札を投げつけられたり、夫にふりまわされて、来年からの暮らしに困り、お金のやりくりに奔走しているなんて、口が割けても言えない。そんな心配をかけたくはない。


自分の子供、2人のうち私くらいは幸せに暮らしていると父を安心させてあげたい。


「はい、これ、ちゃんとノートに書いといてね」

生活費を渡すと、父は必ずノートに書き、何にいくら使ったかを必ず書き留めていた。
「書いとく書いとく」

そう言って受け取ったかと思うと、小さな机の上に重ねられた郵便物の下から封筒をとりだして私に差し出した。

「いつ、突然、何があるかわからん、その時はこれを使いなさい」
20万円と書かれた封筒を渡された。

「え?いいよ」
そう言ったが、
「もっときなさい」
と渡された。
「ありがとう」
「こっちこそ、ありがとうよ」

父の年金は私が管理して、父には生活費の30000円しか渡してなかったのに、この3年間、その生活費から自分のものは買わずに少しずつ貯めてくれていたのかと思うと、「また来るね」と笑顔で扉を閉めた後に、涙が溢れて嗚咽しながらマンションのエレベーターで大泣きした。

結婚した夫には「今、仕事止めたらじゃ暮らしていけないよ?」
と言ったら「もっといいとこ探せばいいじゃないか」
と言われ、「学費が払えないよ」と言ったら
「お母さんのから出せよ」
と、突き放されたのに、父はたった30000円の食費から私のために貯めておいてくれた・・・
私は封筒をぎゅっと握りしめて「お父さんありがとう」と唱えるように繰り返した。

今預かっているお金は父が何かあったときのために良い施設に入れるようにしておきたい。

夫のシナリオのままに、そこから教育費を出してしまったら助けてくれていた父に何もしてあげられなくなる。

もらった20万円の封筒はしっかり箪笥にしまった。
何より価値ある使い方をしなければ父に申し訳が立たない。


おてんとう様はきっと見ている