あすみとモラハラ夫との卒婚生活

モラハラ夫  卒婚生活 カサンドラ

お姑さんの不動産収入


一昨日、お出かけの行き帰り、車の中で夫と喋った話題の続きです。


話題はこれからの終活にむけての話題になりました。

子供達に迷惑をかけないように、負の遺産を残さないようにする、そんなことから、お姑さんが保有する借家の話題になりました。

ここは、お舅さんがまだ存命だった時まで、一緒に暮らしていたところです。

駅まで歩いて行けるし、街中にあったので、リウマチで車を運転することができなかったお舅にとってそこはとても便利が良かったのです。

けれども、飲み屋街も近いというので、夜中に酔っぱらい同士の喧嘩が始まったり、電車が通る音がうるさかったり、お姑はずっと引っ越ししたいと思っていたんです。


お舅が亡くなってから一ヶ月もしないうちに、今の山手の中古住宅の一軒家を購入し、移り住みました。

2000万円近くのお金をキャッシュで買ったので、よく貯めていたんだと思います。


そこで、前の家は人に貸すことにしました。

駅に近いこともあって、商売をしている若い夫婦に貸したんです。

夫はその人のことは知らないと言っているのに、若い夫婦は夫と小学校の時の同級生と言ったことで、お姑が安く貸してたんだと思います。


ところが商売が傾くと「今月は払えない」と言い、お姑さんは困っている息子の友達から、お金は取れないと、何度か家賃の話をするも、そんな風で、いつからか家賃をもらわずにずっと住まわせていたようです。


ところが、そこがどうやら、借地だったらしく、最後に平地にして持ち主に返さなければならないとわかりました。

お姑にもしものことがあったら、平地にする算段は夫がしなければなりません。

しかも、長いこと家賃ももらっておらず、4人の子供達に負債を負わせることのないようにしておかなければなりません。


つい、3ヶ月くらい前に、やっと不動産屋に入ってもらい、家賃を入れてもらうように契約したそうですが、お姑は認知が入って90歳。

そういうことはもっと早いうちになんとかしてもらいたかったですね。



お姑は8人兄弟の末っ子。大阪の中心で手広く商売をしていた両親が残した不動産収入がいち時期は年、1000万近く入ってきたそうです。

そのお金で兄弟、夫婦揃って毎年、海外旅行に行ってました。

リーマンショック前のことです。

リーマンショック後は家賃収入が400万にまで落ち、売却してみんなで分けようということになったようです。

毎年恒例の海外旅行は、夫婦のうち誰かひとりが病気になったり、介護をしたりと、だんだんと行けなくなってしまったようです。

それも、兄弟で分けようという理由になったようです。


お姑さんには、マンションを買うとき、家を買うとき、「気持ちしかできないけど」と言いながら、いつも気にかけてくれて、援助してもらい、とても助かりました。

甥っ子が車を買うとき、アパートの家賃までも肩代わりして、今はお葬式代しか残ってないそうです。

お姑の不動産収入は、借家の月3万だけになってしまいました。

それも、平地にするための費用で積立しておかなければなりません。


お姑さんは掃除とか片付けが苦手で、もう少しきちんと住めば、素敵な家なのにと思ったりしますが、今は週2回ヘルパーさんが来て掃除をするだけです。


近くにいれば、手伝ってあげられるのになと思ったりしますが、私は私で、圧迫骨折して、買い物に出かけなくなった父のことを思うと、長く家は空けられないなと思います。

1ヶ月に1度、夫が帰省し、美容院に連れ行ったり、買い物に連れて行ったりするのが精一杯のような気がします。


夫は地元に帰る気がありません。

お姑と一緒に暮らすのは「無理!」と言ってます。


みんな無理な人ばかりです。


ブルーミーからお花が届きました(. ❛ ᴗ ❛.)

2週間前に、届いたお花もまだ元気なので、一緒に花瓶に入れました。

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