さっき晩御飯作りに帰ってきました。
週末恒例
嫌だけど仕方ない。
今日はカレーが食べたくなったので筋肉カレー
作ったものの、白米を食べない夫はごはんを炊いてなくて写真はつまみのみ
烏賊の煮付け、胡瓜の酢の物、牛蒡サラダにデザートは巨峰
このお皿はコーヒーカップのソーサー
季節の芙蓉の花が描かれているもの。
初めての賞与で器好きな母親にプレゼントしたもので、当時でも5客で¥30000して、高かったので、よく覚えている。
渡すと母親は『当然』みたいに受け取ってました。
嬉しそうな顔くらいすりゃあいいのにと思ったものです。
朝、ママ友からLINEが来た。
同じマンションにいてからの付き合いだから、かれこれ30年。
お互いに子供達が大きくなって、この前、沖縄にお嫁さん家族と一緒に旅行したと言って写真を送ってくれた。
大人数で賑やかで、みんなお酒が入ってるのかへべれけになって楽しそうだった。
ただ、気になったのはそこに長男がいなかったこと。
長男はそろそろ35歳。
自宅の3階にいるらしい。
「行ってくる」と言ってコンビニにくらいは買い物にもいくらしい。
進学校は隣の市。私鉄で通った。
よくできて学年でも首席だったと聞いた。
私が今のこの地に引越してきたのは1番上の娘が小学生で、それから写真や手紙などで近況は知っていたような気がするが、長男さんのことはあまり記憶にない。
難関国立大学はたぶんだめだったんだと思う。
書いているうちに思い出した。
成績が良かったから私立の推薦枠もあったのに、途中から不登校になって推薦に足りる出席日数が足りなかったと言っていた。
それでも難関国立大学を受験したけど、不合格になり、下に息子が3人いるというので、浪人はせずに私立大学の文学部に入った、確かそうだった。
その世代はたまたま就職氷河期で、1流大学卒でもなかなか就職ができないと、息子さんが中央大、法学部に行ったと自慢していた牛乳配達に来るおじさんがそう話していた。
友達の長男も、就職がうまく行かずにとりあえず派遣社員として働きはじめたけど、派遣は2年、3年とかで、いわゆる『派遣キレ』という過酷な状況に置かれて、仕事を転々とした。
都会の派遣キレにあって戻ってきたが、田舎にはこれと言った職もなく、今に至るらしい。
行った高校が隣の市じゃなく、地元だったら、クラスのほとんどが女子じゃなかったら、「もっと学校が楽しかったかも知れん」
と、友達は言った。
そんな風で盛り上がれる友達もいないので成人式にも出席しなかったらしい。
2年くらい前に3歳年下の弟さんが結婚したときにもLINEで、写真を送ってきてくれたが、やっぱり写ってなかった。
春に三男さんが結婚式をした写真にも長男の姿はなかった。
本人は「そういう立場じゃない」と母親に言ったそうだが、兄弟のお祝い事くらいは出たらいいのに・・・と思った。
友達も、ご主人さんも、きっとそう思ってるだろうし、心配してるだろうと思う。
人のことどころではない。
私の兄ももう10年音信不通。溺愛されていたのに、母親のお葬式にも来なかった。
結婚式やお葬式や、当然集まるのが家族と思っていたが、そんな行事に集まる方が特別なのかも知れないとふと考えた。
今からは多様性の時代。
夫から離れてアパート暮らしの私が言うのもおかしいが、この先も家族の心は繋げて行きたいと思う。
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