あすみとモラハラ夫との卒婚生活

モラハラ夫  卒婚生活 カサンドラ

とりとめのないお姑の話


今日は、風もなく穏やかで春みたいなお天気でした。

空が抜けるように青くって、あああ〜春はもう、すぐそこまで来てるんだなあ~って思いました。

いろんな派遣会社が入っている仕事場。

ビル清掃や、ビル管理のおじさん達。

 

いつも顔を見ると話かけてくる初老の男性。

聞きはしないけど、何かわけありみたいな人。事業失敗して奥さんとも死別。

2人の子供さんも遠くで暮らして田舎の屋敷で独り暮らしをしているそう。

 

田舎は特に家屋敷が大きい。

古いは古いんだろうけど、いくつも部屋があって、

「もう2階なんかしばらくあがったことないよ」

と笑っていた。

ちょうど、私も平屋に住みたいと思っていたところで、2人同時に

「平屋がいいなあ」

と口をついて出て笑った。

 

みんな考えることはおんなじ。

「年とったら車運転できんくなるしね、バス停が近くて買い物が楽なところに住みたいね」

 

とは言っても、自宅を奪還できたとして、自宅売却、そして住み替えなんてできるんだろうか。

 

お姑が、舅が癌で亡くなってすぐ、1ヶ月もしないうちに、今の築3年の住宅を2千万で購入して移り住んだ。

私は遠く離れた土地で2歳にならない長女の子育てで、住宅の話もされたけど、あまり覚えてない。

でも、お姑は、もう何が何でも舅と暮らした家を出て、新しい家に移り住みたかったのだと思う。今考えると、あの物に溢れた家からたった1ヶ月で引っ越しをしたとか、どうやってやったんだろうかと思う。

 

家は山の上の住宅団地で、一見すると1階建てかなと思うような造りの2階建て。

2階の部屋の部分がとんがりボウシみたいになっている。

お姑の好きな薔薇をたくさん植えたいと思ったのでしょう、玄関の門扉にアーチ型のアイアンの柵をつけて、春にはいろんな種類の薔薇が咲き誇っていた。

 

お姑が新しい家に移り住んだのがちょうど還暦前で、今の私の年と一緒。

当時はわからなかったけど、今なら子育ても一段落し、お舅も見送って新しい自分だけの人生を楽しみたいという、お姑の気持ちが手に取るようにわかる。

 

まだ元気なうちには、親の不動産収入で、8人兄弟、夫婦揃って旅行を楽しみ、義姉さんとも海外旅行に行き、趣味の社交ダンスやショッピングを楽しんでいた。

お小遣い稼ぎで、経理事務もパートで行っていたけど、私が椎間板ヘルニアで救急搬送された時に、仕事を止めて手伝いに来てくれた。

お姑には足を向けて寝れない。御恩がある。

 

舅は私には普通に接してくれたけど、お姑にはきつかったみたいだ。お姑も負けてはいなかったけど。

昔の人間だから、離婚が恥なことと考えていて、離婚なんか考えなかっただろうけど、周りの兄弟と比べていつも

「私だけ、貧乏くじを引いたわ」

と愚痴っていた。

 

兄弟は皆、それぞれ裕福な暮らしをしていたから。

嫁いでくるお嫁さんもそれなりで、きっと可愛い息子には、もっと良いところからもらいたかったんだろうと思う。

 

そんな考えが、根底にあるから

「あすみさんは(うちに来て)本当に幸せよ」

と、文句を言える立場じゃない、みたいな言い方をよくされた。

 

お姑には帰省する度に良いところへたくさん連れてってもらった。

有り難く思っている。

けど、もう私の役目は終わったかなとも思っている。

散らかった家の片付けは、いつでも片付けに帰るし、ショッピングにも連れて行くけど、それは自分のペースで楽しみながらやりたいと思っている。

私も自分の人生を楽しんでいいはずだ。

 

 

 

にほんブログ村 シニア日記ブログへ
にほんブログ村 

にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へ
にほんブログ村

 

にほんブログ村 シニア日記ブログへ
にほんブログ村 

にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へ
にほんブログ村