過酷な3ヶ月だった~
息子が引っ越した。
婚姻費用分担調停最後の日に、救急搬送された息子が、それから3ヶ月、バスと電車を乗り継いて1時間半かけて通勤することになった。
朝、6時半のバスに間に合うよう、朝ごはんを食べさせて送り出すのは、結構な精神的な負担を強いられた。
ぎりぎりまで寝ている息子が走ってバス停に向かう姿を窓から見届けて、戻ってこないと、(あああ間に合ったか)と安心した。ちょっとした緊張感で、ホッとすると、暫くソファから立ち上がることが出きない。
もう、私も還暦を過ぎている。
ほんとなら定年を迎えた夫と2人、ゆったりした朝を迎え、温かいコーヒーを飲んでいたかも知れない。
違和感を感じながらもなんとか家庭という形を守って行きたいと思っていた相手は、自己愛性人格障害モラハラ夫だった。
仕事があって良かった。離れられて良かった。
正社員だからお給料ももらえて、アパート暮らしもできるというもの。距離があればモラハラやガスライティングを受けることもない。
息子もバス停に近いアパートだから、この3ヶ月をなんとか乗り越えることができたんだと思う。
仕事で遅くなる息子を駅まで迎えに行くことも、やっと終わる。
10時過ぎに帰ってくる息子のために、お風呂に入らず、待機していなければならなかった。
お風呂に入るのも自ずと遅くなっていた。
慢性的な睡眠不足と、慢性的な疲れ、もう若くないことを思い知った。
綺麗に住まいたいと思っていたアパート生活も、洗い物ができなかったり、掃除が行き届かなかったり、毎日のことがコンスタントに行かなくなり、散らかったまま。
少しずつ元の生活に戻して行こうと思う。