あすみとモラハラ夫との卒婚生活

モラハラ夫  卒婚生活 カサンドラ

小説 螺旋階段 Ⅰ


モラルハラスメントという言葉を聞いたことがありますか?

モラルハラスメントは誰も見ていないところで行なわれる精神暴力です。

殴られて怪我をしたり、目に見える傷が残るわけではないので、証拠がありません。

受け続けることで、周りのひとたちに知られないまま被害を深めてしまいます。

また加害者自身も、それが暴力であることに気づいていません。

モラルハラスメントの怖いところは、加害者が無自覚であるという点です。

 

モラルハラスメントのはじまりは最初、ほんの些細な事、笑えるような事、子供のいたずらのような、とるに足らないことなんです。

反復して行なわれ度合いが増すうちに、どこからが普通でどこからが異常であるかわからなくなり、被害者はいつしか正気であることを失い、心を病んでしまうのです。

SNSや漫画本でとりあげられるようになりましたが、そのことで面白可笑しく捉えられてしまい、モラルハラスメントの問題点から離れてしまったような気がします。

モラハラ被害を受けているのにそのことに気づかない潜在的なモラハラ被害者は想像以上に多いと推測しています。

特に、パソコンやスマホなど持たない高年齢層の方は、モラルハラスメントという言葉を知ることもなく、精神暴力を受け続けることになります。

時々、高齢者の夫婦のどちらかが、首を絞めたとか、ハンマーで殴ったとか言うニュースは、追い詰められた被害者が自分の身を守るために犯行に及んだんじゃないかと考えてます。

「仲良く2人で散歩してましたけどね~」

「2人で買い物してましたけどね~」

近所の人からの証言です。

家の中のことは実際のことはわからないのではないでしょうか。

私自身もこれは亭主関白じゃない、モラハラだと気付いたのは、身体に次々と異常なことが続いた結婚30年過ぎたたった6年前のことなのです。

 

モラハラ加害者は、社会的に地位の高い人が多く、世間では物腰が柔らかく穏やかな人と見られ、厚い信頼があるので、被害を口にしたところで、信用してくれる人もありません。

「あんな穏やかなご主人を怒らせるなんて、一体、何をしたの?」

そう言われたらもう何も答えることはできません。

モラルハラスメントは家の中で被害者だけに行なわれていることなのです。

 

私は長い結婚生活の末に、別居という選択をしましたが、モラハラを受けている人の8割が離婚2割が別居を選択しているそうです。

私が受けたモラルハラスメントがどんな背景でどのように行なわれたか、わかりやすくお伝えするために読み物として脚色し、心象風景も交えながらお伝えしたいと思います。

 

 

 

✥✥✥✥✥

 

それはたぶん私が足を踏み入れたのではなく、知らないうちに、歩み出していたと、言う方が表現するに相応しいだろう。

そこは霧の深い暗い森

(おかしい)

確かに夫と手をつなぎあわせ歩み始めた道なのに

いつの間にかひとり暗い森に迷いこんだようだった。

静か過ぎる霧深い森は時折どこからか吹いてくる風にうごめく枝の様がまるでひとりでいる私をあざ笑うかのように思えた

(え・・・)

 

誰かが私を見ている 誰?

いつからどのようにしてこんな暗い森に迷いこんだのだろう。

わずかに漏れる淡くかすかな光に向かい、きっとどこかに出口があると信じて探し続ける。

ふと足元を見ると、自分の歩いている道さえ、ぼんやりと不確かで遥か遠くに見える微かな光を求めて恐る恐る一足ずつ歩みを進める涼子だった。

 

✥✥✥✥✥

 

「この味噌汁薄いなあ~」

朝のお味噌汁からまた夫、雅之の文句が始まった。

涼子の作ったものに蘊蓄をたれ、箸を持った手首を鉛筆を動かすかのように上下に振り、文句をたれながら食べる様子には長く一緒に暮らすうち、もうすっかり慣れてしまった。

雅之は尚も続けた。

「何でいっつも味が違うんだっ!出汁を変えたんか」 

「いや」

とだけ答えておいた

「何かが違う、僕の舌はごまかせんよ」

いったいいつになったら私の作るお味噌汁に慣れてくれるんだろう

「お袋の味噌汁が美味しいんだよ!今度、作り方を教わってくれよっ!うまい味噌汁食わしてくれよぉ」

この雅之の「〜〜してくれよぉ」のいい方が虫唾が走るほど嫌だった。〜して欲しいっ思うんだったら自分でなんとかすればいいのに。

「自分でしたら」

などと言おうものなら、人格が変ったみたいに恐ろしい顔つきでつかつかと私のところまでやってきて

「なんだっ!なんで自分でやらなくちゃいけないんだっ!僕は働いてるんだぞっ」

怒ると手がつけられなくなる。

なんでこんなつまらないことで、着火した炎が燃え盛るみたいに怒りだすのか、そのエネルギーはいったいどこからくるのか、形相の違う目の前の夫を前に、子供達の前で何度その怒りを収めてきたことだろうか。

 

 

「味噌を入れる量を最初から決めとけばいいんだよっ」

「そんなの入れる具材によっても違うし」

「はぁっ!?」

眉間に、深い皺を寄せて誰に向かって言ってるんだとばかりギロッと睨んで、次の怒号が放たれる前に、ニコッと笑って「はいはいごめんね~」と無理矢理、怒りを鎮火させた。

意見したと捉えられると、ますます火に油をそそぐ結果になってしまう。

こんなつまらないやりとりを何で朝からしなければならないのか・・・

 

早く会社に行けばいいのに

 

 

「ツッ!」 と舌打ちしながら眉間に皺を寄せ、朝から不機嫌オーラを撒き散らして、わざとバタバタスリッパの音を鳴らす。

「行ってくるよっ!」

見送りはないのかとばかりに催促するように大きな声で叫ぶ夫。

子供達が見ている前で不機嫌オーラを撒き散らしながらリビングのドアをバタンと閉めた。

「どうしようもないお父さんだね」と、冗談めかして作り笑いで

「行ってらっしゃい~」

と、見送った。

ここはあえて笑って乗り切らなくては、子供達にとって暗い朝になってしまう。

いつからか、人の顔色を窺い、不穏な空気になると、いち早く察知し笑いながら何でもまあるくおさめる癖がついてしまっていた。

 

「お母さんのお味噌汁美味しいよ、ねえ」

と、小学生の長男もまた、その場をなんとか収めようとしていた。

「うん美味しいよ」「美味しいよ」

「ありがとうね」

 

いつだって、夫がいる食卓は、どんなことでブチ切れてテーブルの真ん中に手榴弾を投げつけられるかわからない。

1番平和な時間であるはずの食事の時間はいつも緊張を強いられ、何を言われるか、言われたことに対してどう答えるか、絶えず臨戦態勢でいなければならなかった。

 

子供達にこれが普通の食事風景と思ってもらいたくない。

夫のこの様は、幼い頃にやはり舅によって植え付けられた普通の食事風景なのだ。

舅は会社が終わると自宅に帰るまでに並んでいる繁華街の飲み屋に寄って帰ってくることが多かったという。

少食で塩辛でちびちびお酒を飲むのを好む舅にお姑はおかずをたくさん作ることはなかったが、虫の居所が悪いと、お皿の乗ったちゃぶ台をひっくり返したそうだ。

それが亭主関白という言葉に置き換えられて、力の無い弱い立場の女性の前で偉そうに威張る父親の姿が、かっこいいと植え付けられてしまったのだ。

ちゃぶ台をひっくり返す舅のことを

「本当に酒癖が悪かった~雅之が似んでよかったわ~」

とお姑は言ったが、ちゃぶ台こそひっくり返さなかったが、箸をパンと置いたり、お玉を投げたり、やっていることは同じだった。

 

「宿題忘れてないよね?」

「車に気をつけるんよ」

「行ってらっしゃい~」

次々に子供達を学校に送りだすとはぁ〜という溜息と共に、身体中の力が抜けてドサッと腰からソファに落ちるのだった。

朝ドラ、情報番組、テレビショッピング、テレビはついているが、見ているわけではない。手元のチャンネルのボタンを指でなぞるようにして変わる画面を呆然と見ながらただただ自分を取り戻すために長い時間を要すのだった。

 

(これは普通なのだろうか) 

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