「小川さん、お家の方から外線入ってます」
「あ、はい」
開店して、朝一番忙しいこの時間に、雅之から直通の外線が入るとは・・・。
涼子は少し身構えた。
2週間前に、実母が救急搬送されたばかり。
いよいよ終幕の時が訪れたかとふと思った。
✥✥✥✥✥
父から、母親が救急車で病院に運ばれたときいた2週間前、食事のいっさいを母に頼っていた父が食べることが困るだろうと「帰ろうか?」
と尋ねたのだった。
「いや、今は、落ちついとるからまた連絡する」
「わかった」
心配したのは、病院に連れて行ったり、車椅子を押したりした父のこと。
不思議なくらい、母のことは何とも思わなかった。
親戚とのトラブル、マルチまがいの新興宗教の勧誘、金融機関で働いたお給料のほとんどを搾取され続けた挙げ句、結婚する時には、「結納金が少ないっ」と女子大生のひとり暮らしのような婚礼道具で、社宅に住む噂好きな奥さんに顰蹙をかった。
トラブルメーカーだった母の救急搬送はまるで他人事のようだった。
ただ、涼子の4人の子供達のことは可愛がってくれて、子供達の手前、人として最低限の形式的なことはしなくてはならないと、思うだけ。そこに感情など生まれなかった。
ケアマネージャーさんをしている友達が言っていた。
老いて施設に入っている母親の手続きや打ち合わせなどで、月に1度は家族の人と面会という形で会わなければならないのに、20分とかからない市内にすんでいる娘は、1度も顔を見せたことがなく、長男さんが高い飛行機代を自腹で払い、半日かけて帰って来るのだそう。
ケアマネの友達は、仕事柄、たくさんの人の終末を見届けただろうけど、
「私はこうはなりたくないね」
と重く口を開いた。
老いるということは残酷でもある。
その人が歩んできた道の『つけ』が回ってくるようなもの、老後は育児の通信簿だ。
「きっとこのお母さんも、長男のことばかり可愛がって、娘さんのことは放ったらかしだったんだろうね」
我が母親のことを言われているような気がして、
「そうだね」
と短かく返事した。
「ほんとにいろんな家族がおってね~親が生活保護にでもなったら、子供3人もおるのに、誰もめんどうみないとかね」
「ふうん」
きっと友達は、たくさんの不幸な親子を見てきたのだろう。
遠くを見つめて
「ふぅ~っ」
と小さな息を吐いた。
こんな話を聞くと、家族が救急搬送されて、運ばれるストレッチャーにしがみついて、名前を呼んだり叫んだり、ドラマで見かけるお決まりのシーンは、ドラマを盛り上げるための脚色でしかないのかも。
本当は遺産相続、介護、お金、損得感情でもっとドロドロとしているのではなかろうか。
母親が救急搬送されても、とても駆け付ける気にならなかったのは、過去の母親に対する深い恨みにも似た感情を精算できてなかったからだ。
あれは4人目の子供が生まれてまだ2ヶ月の時、涼子が椎間板ヘルニアで立ちあがれなくなり救急搬送された時だった。