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家族が1番難しい


父方の祖父母のお墓参りに行ってきました。

新幹線とJRを乗り継いで、無人の駅におりつくと、改札口のところで、従姉妹が待っていてくれました。

私は雨女なのに、今日はとっても良いお天気\⁠(⁠^⁠o⁠^⁠)⁠/

お彼岸で、お墓参りの人やお寺では法要が行なわれてました。

まずは、父の兄の長女にあたるお家へ。

三姉妹の長女で、婿養子をとり姓を継いだ従姉妹。

私の結婚式の時以来、35年ぶりの再会です。

彫りの深い顔立ちだった伯父さんにそっくりで、姿勢が良くて、少しも年齢を感じさせません。色白で綺麗。

ただ、多くを語らない雰囲気は、70年後継ぎとしてお墓を守ることの重責で、少し疲れていたようでした。

むかし、お墓参りは父母に連れられて、長い山道を登っていった記憶があるのですが、今は墓じまいをして、にぎわいのある街中の寺に収めて永代供養をしてもらっています。

従姉妹には3人の子供さんがいらっしゃるようですが、長男さんに子供さんがいないことで、負担をかけたくないと墓じまいを決められたそうです。

 

これからの皆が直面する問題ですね。

従姉妹のお家のご仏壇をお参りした時、祖父母の写真を見せてもらいました。

父は亡くなった祖母によく似てました。

昔の女性ですから、我慢強くて、本をよく読んでいた賢い人だったようです。

8人も子供がいるのに、若くして病気で亡くなった両親。

ほんとに貧乏暮らしだったそうです。

私の知らなかった話しもたくさん教えてもらいました。

母が大嫌いだった小姑とのトラブル、顔がそっくりな私は母のストレスのはけ口になっていたのでしょう。

8人兄弟姉妹、もう年をとってしまいました。

それでも、従姉妹の話しでは、最近も、電話やメールなどで繋がりがあると聞いてびっくりしました。

父方の親戚とは、母が亡くなった時点で全く音信不通になったと思っていました。

生前も、新興宗教で霊感商法で高い壺や、印鑑、布団を売りに来る母に、親戚中から総スカンをくらい、姪っ子さんの結婚式も呼ばれなかったくらいです。

みんな迷惑していたのでしょう。

娘の私を目の前にして

「言っちゃあ悪いけど、わがままで反省もないし、全部人のせいにして、すごい人だった」

と語気を強めて言いました。

「そうよ、娘の私が1番よくわかってる、ほんとに迷惑なひとだった」

そんな話しをすることで、従姉妹は蓄積した鬱憤を晴らし、気が済んだみたいでした。

何かにつけて嫌みを言われてたのでしょう。

 

母方の兄弟や従兄弟には感謝されることばかりなのに、父方の親戚にはボロくそ。

身内とみなしたひとだけに良くしてあげたのでしょうね。

そんな話しも今では笑い話し。

従姉妹も、何か吹っ切れたようでした。

いつか言ってやりたいと思っていたのかも知れません。

 

お寺の墓地をお墓参りしたあと、駅の近くを観光しました。

室町時代から商で栄えた街。

夏には金魚の提灯に灯も灯されるようです。賑わうようです。白壁の町並みにゆらゆら揺れる金魚の提灯が映えています。

近くの古民家カフェで昼食

写真を取り忘れましたが、これにさつまいものグラタンと、デザートとコーヒーがついてきました。

ごちそうになったのですが、お腹いっぱいになり、お値段以上で大満足なランチでした。

 

父も母も、戦後の混乱の中、貧しい中で、自分達で生活を切り開いてきました。

みんなからの信頼が厚く、好かれた父。

まさか、息子と断絶するなんて思ってもみなかったでしょう。

「あの母じゃなければ、もっと違う人生があったんじゃないかと思う」

と言ったら、

「それでも叔父さんは満足してたんじゃないかと思うよ」

と言った言葉が心に響きました。

続きはまた明日。

 

 

 

 

 

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