朝から、従姉妹の2人に御礼状を書いたり、お寺にお供えものを送ったり・・・
そうすると、次男が大量の栗を持って帰ったりで、その皮むきに追われたり、なかなか忙しい一日でした。
栗ご飯が美味しかった〜♪
写真撮るの忘れましたが、3杯おかわりしました(笑)
(参考資料)
従姉妹にもらったお土産を父のところに持って行って、一緒に撮ったふるさとのスマホの写真を見せたのですが、もう18才で出て行った場所。
撮った写真も、あちらこちら様変わりして、むかしの面影はあまり無いように思いました。
父くらいの年の人はほとんど亡くなってるでしょうからね。
もう少し時間があれば、記憶にある従姉妹の家や、母方の祖母の家を見に行きたかったのですが、時間がなくて、向かいの陸地から眺めるだけで終わりました。
今回のお墓参りは40年ぶりくらいだと思います。
父が次男だったので、墓守は長男の長女が婿養子をもらってしてました。
70の従姉妹は、本当は、田舎を出て自由に暮らしたいと思っていたのかも知れません。
「仕方ない」
「はじめから決まってたから」
と、何度となく口にしていたので。
昭和時代、親からのいいつけは絶対に逆らえない、みたいなところがありましたから、従姉妹も、いろいろ気苦労されたんだと思います。
2年前に墓じまいをして、ようやく、少し街中にでてきて家移りしたようです。
時間もあまりなかったので、まだまだいろんな話しをしたかったのですが、私が40年ぶりにお墓参りをしたいと聞いた時点では
(何を売りにくるのか)
と、思ったのかも知れません。
「ほんとに叔母さんが嫌じゃった」
と、40年ぶりに会った私に言うくらいですから、腹に据えかねることがたくさんあったのではないかと思うのです。
父の顔に免じてと、我慢していたことがあったのかも、知れません。
お墓参りをして良かったと思うと同時に、私は父方の親戚をそれぞれ訪ねて、父の様子を伝えたり、また母の行状のお詫び行脚をした方がいいのかなと、考えるようになりました。
皆、割と近くに住んでいたのに、母と父方の親戚の付き合いには、深いみぞができていたようで、ほとんど行き来はなかったです。
母は人をランク付けして、自分の思い通りになりそうな人や、得になりそうな人をしか付き合いませんでした。
それは徹底してました。
お陰様とか、ご恩があるから、なんて考えは一切無い人でした。
母じゃなかったら、父は兄弟姉妹と仲良く過ごしていたんじゃないかと思えてなりません。
支配下におくために、いろんな人間関係を壊してきたんでしょう。
そんなことの繰り返しで、最後は、大切に思っていた兄さえ、お葬式にも来ませんでした。
可哀想な人です。
でも全て自分が撒いた種。
因果応報。
そんな母でも、父は大事に思っていたし、4人の孫も母に懐いてましたから、せめてもの救いです。
生きていればいろんな事があります。
残りの人生は健康でのんびり、好きなことをして過ごしたいです。
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