アパート暮らしをはじめて、自分でゆっくり『考える』時間が与えられて、あのとき、(ん?)と引っ掛かったことを思い出します。
結婚してから夫のモラハラをずっと受けながら暮らしてきましたが、それと気づかずにいたのは、私が、夫よりもさらに酷いモラハラ母に育てられたからだとわかりました。
ずっと躾に厳しい母と思っていましたが、今、考えると家庭内 虐めだったんですね。
だから、夫のモラハラに気づくのが遅かったんだと思います。
4人の子供達の生活に毎日忙しく、考える余裕などありませんでしたから。
モラハラ夫にはマザコンが多いと言われていますが、世の中の多くの男性が間違いなくマザコンだと思っているので、夫がお姑のことを気にかけていて、現役の時にはボーナスが出る度にお小遣いとして10万円渡していたことも、親孝行としてしていたんだと思います。
夫を見ていて特にマザコンとも思いませんが、お姑は夫の言うことは何でも聞いて、夫が不満を口にすると、すぐにその原因を取り払っていました。
「脱衣所が寒い」と言うと、次の日には買ってきた電気ストーブが、洗濯機の上に置かれ、サンドイッチの朝食に夫が「今日はご飯と味噌汁が良かったなあ」と言えば、すぐにお姑はお味噌汁と御飯、焼き魚やお漬け物など、すぐに準備しました。
その様子を見て、夫が不満を言うと、いつもお姑がすぐにその不満を取り除いてきたのだなあと思いました。
そんな物に対する不満なら、良いのですが、夫が私に対する不満を口にすると、お姑から攻撃を受けるのでした。
例えば、夫が新しい家に買ったソファの「背中の角度が気にいらない」「これ(私が)がこのソファがいいって聞かないから、もうちょっと安いので十分だったよ」
と言えば、
「なんで、幸司の意見を聞かないでこんなもの買うのよ」
と言われたり、
「家に書斎がなくてくつろがないんだよね」
と言えば、
「ほんとね!せっかくおうち建てたのに、書斎もないなんて!もっと幸司のこと思いやってちょうだい」
と言われました。
私は腑に落ちませんでした。
ソファを買うときも、家を設計するときも、夫と一緒に行き、
「どお?」
と聞いたら、夫は店員さんの前で、
「嫁さんが言いと言ってるんで(笑)」
「まあ!ご主人さま、本当にお優しいんですね」
と、主導権は私。
いつもお尻の下に敷かれている夫というスタンスでした。
家の設計のときも、住宅メーカーの営業マンに
「これで、ご主人様よろしいですか?
書斎など、みなさん作られたりしますよ?」
と、確認した時も、
「(私に)任せてるんで(笑)」
と言ったはずで、どうにもならないことを後から言ってくるのは、『後出しジャンケン』というモラハラの特徴のようですが、不満や意見があるのなら、その時言ってくれればいいのですが、後から言って私に考えさせたり、困らせたりするんです。
また、お姑が
「どう?あすみさんに美味しいもの作ってもらってる?」
と聞いた時には、どうしてそんなことを言うのか、
「毎日 魚の干物ばっかりだよ」
「えええ!」
私も(えええ!?)でした。
「まあ!あすみさんは何にお金を使っているの!働いてるんだからきちんと食べさせてあげてちょうだい!」
その場で言い返すと修羅場になりそうだったので、後から夫に言いました。
毎日、毎晩、酒の肴3品におかずが3品、小さい子供の子育てをしながら朝から晩御飯のことで頭の中がいっぱいになるほど作っていたのに、
「毎日 魚の干物ばっかり」
とは一体どういうことだろうかと。
「私が、いつ魚の干物ばかり出したのよ!毎日毎日ちゃんと作ってるじゃない!」
この時ばかりは相当、頭にきて凄い剣幕で言い返してやったと思います。
夫はお姑に言うことで、お姑が援護射撃にまわることをよくわかっていました。
時々そんな風に嫌なこともありましたが、実母に比べても、お姑にはよくしてもらったんです。
『モラハラ』という言葉を知ってから、またこうしてひとり暮らしをはじめて、思考ができるようになってから、あの時腑に落ちなかったことのひとつひとつの点が線として繋がっています。
夫がモラハラ人間になってしまったのはお姑さんのそんな言動も十分に原因があると思っています。
昔ながらの家長制度や、昭和の時代背景、土地柄もあるかも知れません。
一体、誰が悪かったのでしょうか?
一体、何がいけなかったのでしょうか?