あすみとモラハラ夫との卒婚生活

モラハラ夫  卒婚 ひとり暮らし

持たない暮らしの『自由』


夕方6時前には食事を済ませて、今日は、引っ越しの荷造りで途中になっていた本の続きを読んだ。

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引っ越し前から読んでいた、『自分勝手で生きなさい』がひとり暮らしを迷う私の背中を押した。


そして、『持たない暮らし』


実父が片付け魔だったからか、幼い頃から整理整頓にはうるさく言われた。

「使っていた物が無くなったら、それが本当にいるものか、他に代わりになるものは無いか、3日考えて、それでもどうしても、いる時は買いなさい」

幼い頃から少ないおこづかいの中で学用品も賄わなければならなかったので、すぐに買えないのは、確かに考える時間は多かったがストレスも感じていたと思う。



母は買い物が好きだった。

店員さんや外商のセールマンにチヤホヤされると買わずにはいられないタイプだったと思う。


洋服から着物から趣味の器からたくさんだったが、物が見えるのを嫌った父から言われないよう、クローゼットや食器棚の扉の中は隙間なく詰めこまれていた。

今になって思えば、整理整頓が得意ではない母が父によって、そう慣らされたのではないかと思う。


実家をたたんだ時には、物に溢れて、洋服やバッグなど、業者が使うような大きな段ボール箱にそれぞれ分けて親戚に送った。

作り付けの横に長い下駄箱にも父の靴はたったの2足。あとは全部母のもので、40足はあったと思う。


昭和の物のない時代に生きた母は、物に囲まれ、物に溢れた生活が豊かさの象徴と勘違いしていたかも知れない。

いや、母だけではない『昭和』という時代はそんな時代だったのだろう。


そして昭和生まれの私もバブリーな時期を過ごしてきた。

右にならえとブランドバッグを持ち、肩パットの入ったスーツを着たそんな世代だった。


バブルが弾けて、長い長い不況が続く。

SNSの普及により、こちらから求める情報量より、否応なく入ってくる情報量に弄ばれ、自分の本当に欲しかったものとは何か、自分が本当にしたかったことは何だったかが、 埋もり、堀起こす力さえ無くなってしまったのではなかろうか。



『無い』から工夫する心が生まれ、『無い』からどうしたら良いか考える。

使い捨てと簡便な世の中になってしまって、『無くなったら買えば良い』の安易な発想が、『本当の自由』を遠ざけているような気がする。


アパートへ引っ越しするまで半年間、何かに突き動かされるように家の中を片付けた。

片付けたら、何かにたどり着くような気がしたからだ。


最低限の身の周りの物。最低限の洋服や持ち物。


キラキラしたゴージャスな物に囲まれたあの昔に比べたら、何と簡素な質素な暮らしだろうかと思うが、私は何より『自由』を手に入れた。本当に欲しかったものだ。

自宅は大好きだったが、忙し過ぎて自由はなかったかな・・・


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今日は節分。


子供が家にいる時には毎年作ったが、今年は買ってきた。

『鬼は外』『福は内』


季節を分ける・・・から節分。


本当の春がやってくる







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