やっぱりヘンよね
・・・と今だから言えるお姑のこと。
お姑は数年前から認知が入り、車の運転も危なくなってきたので、5、6年前に返納させたと夫が言ってました。
大正解だと思いました。
フットワークの軽いお姑は、昔から車が大好きで、どこにでもお出かけしていましたが、返納したあたりから、急に認知が進みはじめ、電話しても、声に覇気がなくなって心配していたのです。
30年も前に舅が亡くなってからは、ひとり暮らし、近くに義姉さんが住んでいるし、義姉さんとはとても仲が良いので、しょっちゅう旅行したり、お買い物に行ったりしていました。
でも認知が進んでからは、仕事をしていた義姉も、仕事中に何回も電話がかかったりして、煙たくなったんだと思います。
少し距離をおかれた姑。
もともと、綺麗好きではなかった部屋もよけいに物で溢れて、足の踏み場もないくらいになっていました。
ケアマネをしているお友達に相談して、いろいろとアドバイスをもらい夫に伝えたのですが、モラハラの特徴で、奥さんの言うことが命令に聞こえたのか、もらったアドバイスを夫に伝えても、少しも進まず、結局、私が、1日有休をもらい、市役所に出向き、やっと地方包括センターの人と話すことができ、何とか1ヶ月の間にケアマネさんや、ヘルパーさんを派遣してもらうようにしたのです。
ケアマネのお友達も、「家族が動いてくれないと、こちらは限界があるのよね」
と言っていました。
今は週に1度ヘルパーさんが訪ねてきて、トイレやお風呂も掃除してくれて、お買い物もしてくれて、なんだか元気になり、電話の向こうのお姑の声も今までと違う感じです。
夫も1ヶ月に1度は帰省し、一緒に食事をしたり、お買い物に連れてってあげたりしています。
やっぱり、人との繋がりが大切と思ったものです。
コロナが流行ってから、密になることを割けなければならなくなり、人との繋がりが希薄になっていると感じています。
早く収まって欲しいですね
そして今から書くことは、お姑が認知症になる前のことです。
お舅が亡くなってから1ヶ月もしないうちにお姑は現在の住まいに移り住みました。
静かな住宅団地の山手にある瀟洒なおうちです。以前住んでいたところが町の真ん中でガヤガヤしていて好きじゃなかったみたいです。
きっとお嬢様育ちだった姑のたっての希望だったんだと思うんです。
その家に住みはじめてすぐにどこからか、のら猫がやってきて、住みついてしまったのです。
お姑は猫ちゃんに『タマ』と名付けて、とても可愛がっていました。
私達が家族で帰省すると、タマもすり寄ってきて、まだ幼かった子供達のおもちゃになりました。
お姑がソファに座ってテレビを見ていると、網戸をガリガリ言わせて戸を開けると部屋に入ってきて、お姑の膝に飛び乗りました。
お姑が寝る時も布団の隙間から入ってきて、一緒に寝てました。
お舅が亡くなってからのひとり暮らしはあまりお喋りする人もなく、寂しかったと思います。そんな時にどこからかやってきた『タマ』はお姑の癒しとなっていたんだと思います。
お姑はよく旅行していましたが、そんな時には玄関のアプローチに餌を置いておき、近くに住む孫に1日おきに様子を見に行ってね と頼んでいました。
引っ越した時からですから、15、6年は住みついていたでしょう。
お姑は私達のお誕生日やクリスマスなどに、趣味の絵手紙を認めて送ってきていましたが、ある時、そんな絵手紙の角に「タマが弱ってきました」
と書かれていました。
今から10年くらい前でしょうか。
いつも傍にいた気まぐれの『タマ』が歳をとり、歩くのもままならなくなり、ずっと家からでなくなったのです。
可愛がっていたから、お姑も落ち込んでいるだろうと思ったのです。
そんな絵手紙をよこした年の暮れに家族で帰省した時、玄関のアプローチに四角い箱が置いてありました。
中で何かふわふわと動いています。
なんだろうと思って近づいて見ると、箱の中に、弱って動けなくなったタマが入れられていたのです。
「えええ~!!どうしたの、こんなところで!寒いじゃない、中に入れてあげて!」
一緒にいた夫と玄関から出てきたお姑に言いました。
私は弱って動けなくなったタマがどうして、こんな冷たい石のアプローチに置かれているのか、理解ができずに頭の中が混乱しました。
するとお姑が
「カラスがつつきにくるのよ」
と、フッと笑ったのです。
(えええ~)
どうして可愛がっていたタマが動けなくなっているのに、こんなところに放って置くのか、また「カラスがつつきにくるのよ」と笑えるのか、意味がわかりませんでした。
お姑の姿が見えなくなってからすぐに夫に「早く中に入れてあげて!」
と伝えました。
お姑はいつも私達を気にかけてくれて、趣味の絵手紙や、お誕生日にはプレゼントと一緒にカードに言葉を添えて、送ってくれました。
『思いやりが一番大切』
といつも言っているお姑。
それなのに、可愛がっていたタマが動けなくなっているのに、箱に入れて、この寒空に冷たいアプローチに置いておくなんて、正気の沙汰ではないと思いました。
「ええ~っ可哀想じゃないですか」
部屋に入って、そうお姑に言ったと思います。
「もう、いいのよ・・・」フッと笑いました。
あんまり気にしてない風でした。
夫のモラハラに堪えきれなくて家を出た今、あの時、玄関のアプローチに放り出されていたタマが、未来の私の姿と重なってしまったんです。
癒しとなっている間は重宝されても、自分を満たすことができなくなったら、用済み。
モラハラ人間の思考の最大の特徴は
『最後に背負わせる』こと。
使える間は『餌』ももらえるし、それなりの生活もさせてもらえるけれど、用がなくなったらバッサリ切ることができるんです。
共感性のないのは、モラハラの特徴です。お姑はモラハラ人間と思いたくありませんが、今、もしかしたら・・・と思ったりしています。
応援してくださると嬉しいです