あすみとモラハラ夫との13000日

毒親育ち モラハラ夫 エッセイブログ

籍を抜いた兄 後編


終身雇用が崩壊した現代では、大学中退や高卒ということがそれほど人生に影響するとは思えない。が、しかし、当時はまだ、『大学さえ卒業していれば・・・』という神話がまかり通っていた時代。

父は真面目な公務員、『大学さえ出ていれば」という思いは強かったにちがいない。

出席日数が足りないと電話がかかってきてから、兄のことを心配した両親は、なんとか大学だけは卒業させたいと、自分達が管理しやすいように、下宿を引きあげて、自宅から通わせるよう朝イチの新幹線通学に変えた。

私はもう、金融のOLとして働いていたころだ。
朝、起きるともう、兄の姿はなかった。



兄は大学に入ってから、たぶん『自由』を手にしたのだ。
母親の管理下におかれた環境で、見たかったテレビや聞きたかった音楽、行きたかった場所・・・
アルバイトで得たお金で自由を謳歌しているうちに興味のない勉強と親から解き放たれて楽しんだに違いない。


ところがそんなことからまた自宅通い・・・
今までたまりにたまった単位は到底 取得できずに、兄は大学3年の秋に大学をを辞めた。
また、アルバイト生活。

心配した両親が居どころをつきとめるとまた、引っ越し、親が訪ねて来ないように兄は何回か引っ越しを繰り返していた。


音信不通だった兄が久しぶりに現れたのは私の結婚式の前夜だった。

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結婚式前夜で、遠方から駆けつけた親戚を尻目に、夜遅く帰ってきた兄に、母はもう、上を下への大騒ぎで、兄を目の前に座らせて放さなかった。

明日嫁ぐ娘の結婚式の風景とはほど遠いものだった。
この時、兄が帰ってきたのも、私がいつも母と覗いていた高級和食器店のオーナーから
「あすみちゃんからお兄さんに帰ってきてって手紙を書いてみたら?」
そう、言われて手紙を送ったからだ。

とくに仲良しの兄妹でもなかったが、妹の結婚式に兄が来ないのもどうだろうか・・・
南極大陸にいるわけでもあるまいし、もし来なければ田舎の伯父さんや伯母さん達の格好のネタになっただろう。それはそれでめんどくさい。

そんな思いもあって送った手紙だったが、後から冷静に考えると、そんなことを和食器のオーナーが言うのもちょっと不思議過ぎた。
きっと私から兄に手紙を書くように伝えてくれないだろうかと、母親が頼んだのだろう。母の様子を見ていると、そう思えてならなかった。

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夫と結婚してから、兄とはますます疎遠になった。

あれ以来、何をどんなふうに言いくるめたかは知らないが、しばらく音信不通だった兄は自宅に戻り、そこからまたあらためて、税理資格をとるべく専門学校に通ったのだった。

お店をしていた母の関係で歳老いた税理士さんのところで暫くは働いていた。
いや、それまでにも、仕事は転々としていたのだと思う。
はっきりはわからない。何せ、都合の悪いことは母は言わない。



夫はお盆、正月、GWとかならず帰省した。
子供を連れての帰省は、心身共に疲れたが、
「それしか親孝行できないから」
と言うのが、夫のいい分だった。

「明日帰るからね」

そう、母に伝えおくと、兄の姿を見ることもあったし、いないこともあった。
「お兄ちゃんは?」
聞くと
「仕事よ」と答えることもあったし、「さあ」と答えることもあった。

もう、いい大人だからいちいち兄のことなど、気にしてない風だったが、ある時、兄が勤めていた税理士さんが年齢を理由に事務所を閉めるという理由から兄は解雇された。

次の仕事が見つかるまで、家で何もせずに過ごしていた時期もあったように聞いたが、母が父の退職金を元手に始めたファッションのお店が繁盛していた頃だった。
母の仕事で知り合った若い青年実業家から誘いを受けて、兄は経理事務担当として働くことになる。


ところがほどなくして、その会社は倒産。
連帯保証人になっていた兄は多額の借金を背負うことになる。

普通、就職活動と言うのは、その会社のパンフレットか何かを取り寄せ、財務状況、企業理念などを自分で調べ、先に入った先輩などに会社の雰囲気などを聞いてから選ぶものだろうに、兄はいつも母親が見つけて来た仕事に疑問を抱かずに就いた。


小さい頃から母親のいいなり。親の顔色をみながら過ごすうち、大学を中退した手前もあったのか、文句を言わずに言いなりになっていた。


「倒産してからね・・・連帯保証人になってるから借金を背負ってからね・・・」

母親が向こうから電話をしてくることなど、ほとんどなかったが、この時ばかりは疲れていたのか、弱音を吐いた。

兄はまたつぎの仕事に就きながら、少しずつ借金を返していたのだろう。
母が亡くなってから家を片付けていると、箪笥の引き出しから何冊か通帳が出てきて、結構な金額が兄の通帳に振り込まれていたから、母が少し手伝っていたのかも知れない。

自宅によく借金取りが来ていたというから、兄は親に迷惑がかかると思って籍を抜いたのかも・・・そうも思ったが、それから数年後に借金は完済したと通知があったと聞いた。

平日は会社の社宅に泊まり、土日に帰ってくる。
そんなだった思うが、もう、本当に疎遠になって、完済してからどう過ごしたのか、誰も兄のことに触れなかった。
「暮れにかえるからね」
というと、前日に姿をくらます・・・つかみどころのない兄のことについては、もう聞かない方が良いような雰囲気があった。

それもこれも、母親が店の客として来た、新興宗教の人が来てからだんだんとそんな感じで、私達が帰省しても、訳のわからないミーティングに子供達を連れて行くと言うから
「止めてほしい!」
と強く言ったが母は、一切聞く耳をもたなかった。


叔母に兄が外国人の女の人といるよ と聞いてから、何故兄が「帰るからね」と伝えたら姿を眩ましていたのが合点が行った。

結婚しようとして連れてきた人が飲み屋さんで知り合った外国人の女性だったとしたら、母が新興宗教に入った頃とちょうど重なる。

なんとか一緒に住んでいた時期もあったのだと思うが、母親がそんな結婚を認める訳がない。


平成25年と言えば、2013年。
母が失くなる3年前に、兄は籍を抜いて、以来家には帰らなくなった。

子供達を、小さい頃からたくさんのいろんな友達と遊ばせたり、いろんなところへ行ったりと、普通に備わるはずの人間としての情緒が備わっていれば、今だってきっと普通の家族として過ごしていたかも知れないのに・・・そう思うと、家族のために真面目に働いてきた父が憐れでならなかった。


兄は籍を抜くことで、やっと本物の『自由』を手に入れたのだと思う。




お盆休み、コロナ禍の中で、私達に本当に必要なものは何かを見つけてみてはどうだろう。






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