昨日は、どこも出かけなかった子供の頃の夏休みを書いたが、あれからまたさらに、どんな風に過ごしていたか、思い出してみた。
本当にどこも出かけない家族
でも、2回ほど、お墓参りでおばあちゃんのお家に泊ったことを思い出した。従兄弟も来ていて楽しかったが、もう本当に小さい頃のこと。
小学生も高学年になると、お墓参りは日帰りになり、朝6時に出発し、夜に帰る強攻軍。
父の壊れそうな軽自動車で、高速を使わない片道4時間のお墓参りはとても疲れた。
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中学生くらいになるまで、動物園や遊園地は学校の遠足や修学旅行で行くものと思いこんでいた。
「○○ちゃんところは、遊園地に行ったんだって!うちは何で行かないの?」
そんな質問をしたら、父も母も決まってだんまりを決めこんで、何も聞こえない風にする。
近所や、町内の子供達との交流があったなら、近所の人についでにプールや海に連れてってもらったりなどありそうだが、うちは本当になかった。
きっと母がそういう交流をすると、自分もまた、よそのお友達を連れて行かなくてはならないのが億劫と考えていただろうし、情けないが、母はそんな出費を無駄と決めていた。
母はそうやって子供同士の交流を狭めて、管理しやすいようにしていたが、ひょっとしたら同じ年頃の子供を持つ家の人からは、距離を置かれていたのかも知れない。
口のうるさい母、自分が1番正しいと思っていた母にとって反発する人はみんな敵。
子供同士のトラブルがあっても、母から何倍も言い返されると、(もう関わるまい)と思うのは普通だろう。
私は小さい頃いじめっこだった。
母に甘えることなく、いつ機嫌が悪くなるかわからない顔色を窺い、愛玩子の兄からはいじめられ、一緒に遊んでいた真理ちゃんにもよく泣かされて帰っていたと言う。
写真に写った私の顔はいつもしかめて口が尖っている。
「お世辞にも可愛いって言われんね(笑)」
小さい頃の写真を見た子供達が大笑いした。
いつもいじめられていた私は、きっとストレスでいっぱいだったのだろう。
自分より弱いものを泣くまでいじめていた。
小学校1年くらいの時、何が原因か憶えてないが、学校区の違う近所の小さい女の子と大喧嘩になって、首を絞める真似をした。女の子はひどく泣き叫んで、周りにいた子が、その子のお母さんを呼びに言った。
お母さんは優しく、「だめよ、喧嘩したら」
と、止めに入ってくれたが、女の子が大泣きしていたので、何事かと周りの大人も出てきたけど、母は来なかった。その子の優しいお母さんが羨ましかった。
その事件があってしばらくは、その子のお母さんがうちに怒鳴りこんでくるんじゃないかと、気が気でなかったけど、たぶん何も言って来なかったんだと思う。
学校区が違うのもあったが、以来その子とは1度も遊ぶことはなかった。
お母さんが「あの子と遊んじゃだめだよ」
そう言ったのかも知れない。
負けん気が強くて、口が悪く、子供同士の喧嘩が多い、私の幼少の姿はそんなところだった。
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