あすみとモラハラ夫との13000日

毒親育ち モラハラ夫 エッセイブログ

モラハラの母に育てられた兄妹


親しくもない人と面と向かって話をするのが、本当に苦手だった実の兄。

それは、母が自分の思いどおりに兄をコントロールしたいがために、他の人との接触を阻んできたせいだ。
私にもそうだった。
連れてきた友達やお家の人の悪口を言って、交流を無くそうとしていたんだと思う。
思春期になって、男の人から電話がかかると、大変だった。

自宅から遠い人は、付き合いを終わらせるために、手紙を盗み読みしたり、電話を取りつがないようにした。

今考えても普通じゃあない。
自己愛性人格障害の人は、自分の思いどおりに人を束縛するために、付き合う人の悪口を吹きこんだり、わざと会わせないようにする。
家族の中でも、「お父さんがものすごく怒ってたよ」といったりして、直接 話をするのを躊躇させるように仕向ける。




兄も小さい頃から積極的に外に出して、同い年の子供達と一緒に遊ばせていたら、人生はもっと違って豊かだっただろう。
小さい頃からの子供同士の喧嘩や、小競り合いは成長するのに、とても大切なことだと思う。



兄は、大人しく、品行方正で真面目に勉強もする・・・母の扱いやすい、思い通りの息子になるはずだった。が、母の思い通りには行かなかった。


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私達が帰省しても、いる時もあるし、いない時もあるし、今、帰ってきたかなと思うとすぐに出かけたりして、私達が帰って来たからと言って、一緒に酒盛りをするわけでもなく、「久しぶりね」と言うわけでもない。
昔から人との交流を拒む所があったから、そんなことがあっても、別に不思議とも思わなかったが、

「お兄ちゃん、お正月帰らんの?」
と聞くと、
「仕事が忙しいみたいよ」

とだけ言う。

昨日まで家にいたのに、私達がこの日に『帰る』というのを見計らって いなくなるような、そんなところがあった。


兄のプライベートな部屋は特に用事がないので、入ることもなかったが、その奥に物置があり、何かを取りに行ったとき見た部屋は、本棚に入り切れなかった本が山積みにされていて、相変わらずの感じだったが、母が自宅でサロン風のお店をはじめてから、何度となく家はリフォームされて、兄の部屋も少し広くしたようだった。

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どれほど前だっただろうか、夏に祖母のお墓参りに行った時、やっぱりお墓参りに来ていた叔母に出会った。
大好きだった叔父の奥さん。


長男の中学入学の2日前・・・叔父は42才の若さで癌で亡くなった。


「結婚してから一回も怒った顔を見たことないのよ」
と言った叔母さんは、叔父と結婚して本当に幸せだったんだろうなあと伝わってきた。


「久しぶりやねえ、元気にしてる~?」

そんな世間話をしていた時だった。

「お兄ちゃんも、相変わらずやねえ」

兄の勤め先が叔母の生活圏にあり、家に戻らない時には社宅のアパートに入っていく姿を見かけたらしい。

「お兄ちゃんも、お嫁さんが外人さんじゃあ、お母さんもね・・・」

「???」

はじめて聞いたことに話が理解できずに、叔母の顔を見直すと、叔母はサッと話題を変えた。その後何を話していたのかあまり覚えていない。



外人?はじめて聞いた。
お嫁さんが、母の好きそうなヨーロッパ系の白人だったら、別に隠しはしないだろう。
『明日から帰るよ』と伝えたのに、わざわざいなくなるのは、この事だったのかなと思った。

昔から都合の悪いことは母は言わない。



大学に行かなくなって、どうしても卒業させようと、新幹線で通学したとき、就活に運転免許が必要と同じころ教習所に通わせたことがあったが、大学の単位を優先するうちに、教習所にも通えなくなり、まるまる免許代が無駄になった。

私には「運転免許代くらい結婚してから自分で取りなさい」と言い、お金を出さなかった母が、兄には再度、お金を払込み、免許をとらせたのをずっと後になって林さんから聞いた。



気位が高くて、体裁を気にする母がお店かなんかで知りあっただろうアジア系の女の人を嫁と認めるわけはない。

「仕事が忙しい」

と言って兄はだんだんと、家に寄りつかないようになり、何度か居場所も変えて、母が亡くなる何年か前には、籍も抜いて電話をかけても繋がらないようになっていた。


兄は母に勧められるまま、伝手で入った会社の連帯保証人になり、多額の借金を背負うようになったが、返済を求めて家に借金取りがくるのを配慮して籍を抜いたのかと思ったが、本当の理由はここにあったのかも知れないと思っている。



もう、兄のことは誰も口にしない。
兄の話題はタブーな感じがする。

この世にたった2人の兄妹だったのに、母が『愛玩子』と『搾取子』として分けて育てたために、そのどちらもが、生き辛さを感じながら生き、どちらもが、母からの愛情を感じずにいる。

親を選んで生まれてこれないから仕方がない。
4人の子供達には、私達夫婦がこの世を去っても仲良く過ごしてもらいたいなあと切に願う。