あすみとモラハラ夫との13000日

毒親育ち モラハラ夫 エッセイブログ

人それぞれの母の記憶


緊急事態宣言が解除され、戻ってきていた子供はまた、それぞれの地に戻って行った。

娘と末の男の子は仲がとてもいい。
なにかあるとすぐにラインでやりとりしたり、近くの団地を2人してジョギングしたり・・・

どんな話をするんだろうと思うが、お喋りは尽きないそう。
仲の良い兄弟は見ていて安心する。

「どんな話するん」


「お父さんやお母さん、兄弟のこととか、今日は佐藤(実母)のおばあちゃんの話しが出たよ」


「何て?」

「とても素敵なおばあちゃんだったよねって」
「えっ?佐藤の方よ?」
「そうよ、いつもご飯が美味しかったし、おこづかいいっぱいくれたし、お洒落だったしね」

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子供達に実母の毒親ぶりのことを話したことは1度もない。
母は私のことは使用人のような扱いだったが、子供達のことは可愛がっていたから、私も余計な情報を入れて変な先入観を作りたくなかったのだ。

でも、なんとなく、あまり喋らない母と私に違和感を感じた娘が、
「あんまり喋らんのはなんかあるん」

そう、聞かれたことがあった。
「おばあちゃんはね、おじちゃん(兄)が好きだったんよ」とだけ伝えた。

「ふうん」


人それぞれ、思い方も感じ方も違うもの。冷たい親子関係をわざわざ言うこともないだろう。


「小川のおばあちゃんって人の言うこと聞かんよね」

そう息子が言うから実母の間違いじゃないかと思って聞き直した。

「小川(お姑)のおばあちゃん?」

「そうよ、あの人、強情よ、お父さんそっくり!」


義母は、いつも穏やかで人の悪口を言うのを聞いたことがない。
困ったときには励ましてくれて、いつも助けてくれた。

そんな義母のことを強情などとは、わたしは1度も思ったことがないが、

「ほんま人の話し聞かんし、自分のことしか考えてないよ」


帰省しても実家よりも、小川の家で過ごすことが多かった。
長く一緒に過ごすうちに、もちろん良いところも嫌なところも見えるだろう。

きっと一緒に過ごす時間が長かったのかな・・・

実母はいいとこ取り。

それでも、子供達が皆、そう感じてくれてるのなら、それはそれで良かったのかなと思う。


こんな毒親ブログを綴っているのが知れたら、びっくりするだろうし、きっと書いてる私にも書かれてあることにも幻滅するかも知れない。


だから、なんとか母との楽しかったことを思いだして綴っておこうと思うけど、ほんとにないから難しい。



ママ友のインスタグラムに、とても素敵な文章が載せられていて、ほっこりとした。

彼女は19才の時に、母親を乳癌で失ったそう。
歳の離れたお姉さんと2人、なかなか悲しみから立ち直れなかったそうだ。


そんな彼女はお雛様の季節になると、母親の面影と共に、梅のふくよかな香りを思い出すのだすという。
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お雛様と言えば、桃の花なのに、お雛様を押し入れから出す時には、まだ時季が早くて、母親は庭の梅の花を折って花瓶に差していたのかも知れない。
梅のふくよかな香りは、手を繋いで歩いた母親の温もりをも思い出させてくれるのだそうだ。



亡くなって暫くしてから、遺品整理をしようと、実家の箪笥を開けたら、箪笥にはめ込まれた桐盆の横に、お姉さんと自分の名前を書いた紙が貼られてあったそうだ。
(何かな?)と思って見ると、姉妹それぞれに、どんな時に着るのか、ひとつひとつ、たとお紙に説明文のメモ紙が貼られた着物や帯がたくさん出てきて、お姉さんと2人、花嫁姿を見ることができないと悟った母の想いに2人で涙したのだそうだ。


何かの時に聞かせてくれたこの話しに、心動かされたし、自分のことも思い出して、また悲しい気持ちにもなった。
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毎朝、母の遺影に話しかけ、「今日もみんなが元気で過ごせますように」と出かけるそうだ。

「お母さんが生きていたら、どんなだったかなあ、せめて私くらいの歳まで生きていてくれたら、子供達にも会えて、いろんなところに行ったのになあ」



たぶん普通の母娘が感じるそんな想いを感じることができない自分に罪悪感と安堵感が交錯し、複雑な気持ちになった。