父は幼少の頃に両親を亡くし、歳の離れた兄と姉の収入でなんとか暮らしていたという。
昭和一桁の人は戦後の動乱を生き抜いてきた強さがある。
父も間違いなくその1人。
無駄を嫌い、使えるものはその命が果てるまでとことん使い、新しく次を買う時には、それが果たして本当にいるものかどうかを3日考えてから買う という徹底ぶり。
そんな父の教えがしみついて、もともともらっていたお小遣いも少なかったから、学用品なんかも、とても大事に使った。消しゴムは指先で持てなくなるほど。
小さくまあるくなって転がると、追いかけて拾った。
また、それがとても良いことと教えられていたから、夫と結婚してから、引き出しを開けて「ない!」と言うと、すぐに新しい物を買ってくる夫の行動に疑問を感じながら
「無くなったんだけど」
と言うと、
「買えば?」と言う夫の言葉は『楽』に感じる部分でもあった。
子供の頃は、何かにつけて、とても窮屈と感じながらも、たぶんそれが普通と思っていたから(こんなもの)と思って過ごしていたに違いない。
が、同じく父も、お小遣いに関しては
「もう少しもらえんかなあ」
と、母に頼んでいる姿をよく見かけたから、本当に少ないお小遣いでやりくりしていたんだと思う。
質素倹約をむねとする父が好む趣味は、囲碁、将棋。
お酒はのまない。今は煙草も吸わないが、働いていた頃の、お小遣いの使い道は煙草くらいだと思う。
たまに「飲みにいこうや」と同僚に誘われたら母が断らせていた。
まだ、その頃は車にも乗っていなかったからガソリン代などもなかったんだと思うのに、いつも違いお小遣いに困っていた。
私や兄が小さい頃、家族で出かけた記憶がほとんどないのには、お出かけする時には父のお小遣いから市内のバス代やら、入場料やらを出さなければならなかったからかなと、時が経ってから思う。
そんなお出かけの時のお金も、母は自分で高い香水やら、宝石やらを買うために一切出さなかったんだと思う。
土日休みと重ならなかったと言うのもあるけど、家族でお出かけは小5の時に、父の仕事について、ついでに行った島くらい。それも泊まったところは官舎だと思う。
それでも、「宿題の絵が描けん!」と、言うと数えるほどの記憶の中に夏休みに父がプールや海に連れてってくれたけど・・・
それがとてもお粗末なものだった。
あれは、私が小学校4年生くらいだったと思う。
「宿題の絵が描けん!」と言ったら、めんどくさそうに父が海に連れてってくれた。
海岸線を車で40分くらい走ると海水浴場に到着。
営業している海の家で着替えようとすると、父が価格が書かれた看板を見たんだと思う。
「えええ!こんなに高いんかい」
暫くお店の若いお兄ちゃんと交渉していたようだったけど、
「いやいや、ええわ」
と、「こっちこっち」と、兄と私を連れて、海とは反対側の民家が立ち並んだ山のほうにどんどん入って行った。
海からどんどん離れていく。どこに行くんだろうかと思ったら、よその家の少し広いガレージのすみに入って、
「はい!ここで着替えなさい」
「・・・・」
「はよぉしなさい!」
言われるままに、誰か来はしないかと、周りを気にしながら、肩にタオルをかけて着替えをした。
よその家のガレージ、民家の通り沿い、なんか、とても悪いことをしているような気がして、とても嫌だった。
上の方から坂を降りてきた同い年くらいの男の子が、私達の姿を見て、見てはいけないものを見たように、サッと小走りに駆け降りて行った。
「喉が乾いた」と言ったら、たった1本のコーラを3人で飲み、お腹がすいたと言ったら、300円のとうもろこしを3人で食べた。
潮と砂でベタベタになった体を1回200円くらいのシャワーで父と兄と私の3人で代わる代わる浴び、しっかり落としきれなくて髪の毛がベタベタしたがしょうがない。
こんな嫌な思いをしなければ泳げないんだったら、もう海に来なくてもいいと思ったくらいだ。
翌年も同じとこに行ったが、母から言われたのか、水着は家で着て行って、帰りはシャワーも浴びず、そのままタオルを巻いて帰ってきて、お金は一銭も使わなかった。
今になって考えると、父は自分の少ないお小遣いの中から、遊びに連れてってくれたのだと思うけど、母は高級リゾートホテルにも行くのに、私達兄妹は、普通に子供達が経験するような楽しみを『躾』という名の辛抱によって我慢させられたのだと思う。少しも楽しくなかった。
母は父にも、子供にも経済的な締め付けをして、交遊関係を絶ちきらせたり管理して、自分の思い通りにお金を使っていたんだと思う。
私は子供の時から毒母によってモラハラとマネハラをずっと受けていたんだと、母が亡くなるちょっと前にようやく気がついた。
酷すぎる母に慣れて、モラハラ夫のことが気にならなかったんだと思う。
夫もお姑も買い物やお出かけが大好き。
夫もお姑も誕生日や結婚記念日には、高価なバックやブランド時計なんかもプレゼントしてくれて、子供の頃には経験したことのない事に、脳内では溢れんばかりのドーパミンで満たされ、私はそれを『幸せ』と思い違いをしてきたかも知れない。
いや、もちろんそれは『幸せ』な事なんだと思う。
代わりに夫の日頃の食事の文句や、あり得ない無理難題に、言いたい事や伝えたい事を我慢してきたことが、夫婦じゃなくてただの主従関係、お殿様と家来、ご主人様と使用人、そんな関係になってしまった。
今は子供達も大きくなり、夫の無理難題にも、子供がいれば「なんなんそれ」と冗談交じりに助け船を出してくれる。
経済力がない私は、マネハラだけはどうにもならない。突然 激高する夫のモラハラを上手にかわして行こうと思う。