社宅を出た後、引っ越してきたマンションは、街の真ん中を緩やかに流れる川の畔に静かに建っていた。
川に沿って桜並木の植えられた遊歩道は、春には桜と土手に咲く菜の花、夏には子供達が浅瀬の河原で水遊び・・・と、市民の憩いの場となる。
「そんなところは早く出た方がいいね」
あの日、お義母さんに相談したら、そう言った。また、夫も、「出よう」と言って、その1週間後にはポストに入っていた分譲マンションを買うように契約したのだった。
夫は、知り合いのない私が、たくさんの友達ができるだろうと思って社宅に入るようにしてくれたのに、結局、社宅には馴染めなかった。
マンションの暮らしもまた1から・・・。
でも社宅と違って、意味のわからない競争みたいなものもなかったし、なんせ、駅にも近く、買いものも美容院も、とにかく便利で、社宅暮らしの数倍、開放感があった。
「マンションで広くなることだし、あすみさん、実家に置いたままの着物やなんか、こちらに持ってらっしゃい。あすみさんはもう、佐藤じゃなくて小川の人間なのよ。大事なものは大事なものを扱うように子供にも今から教えていかなきゃあいけないんだから」
引っ越しの日、「これはどうしたの?」とお義母さんに尋ねられた時
不便な社宅生活の暮らし - あすみとモラハラ夫との13000日
それは決して好意的でないことに、社宅の彼女に言われてずっと後になって気がついた。
でも、義母は私や私の母を決して責めたりはしなかった。賢い女性だ。
義母の言うことはもっともと、
「マンションに引っ越しする時には、置きっぱなしの着物やなんか、こっちに送ってもらいたい」
そう、実家の母に伝えた。
「んもぅ!結納金のわりには文句が多い」
そればかり言う。
引っ越しの時は、2ヶ月の子供もいたことから、実家の母も手伝いにきた。
その時 運ばれてきた和箪笥を「特注品よ!」とどうだと言わんばかりに中を開けて、自分の準備したものが如何に素晴らしいかを切々と説きだしたから、私は顔から火が出そうだった。
「本当に素晴らしいです お手伝いにも来てもらって、本当に助かります」
義母は心得ている。
和箪笥は来たが、中は空っぽのままで、それからいつまでたっても着物の類いが来なかった。
「お母さん、着物を送って、せっかく和箪笥きたのに」
そういうと
「あすみ、着物着れるの?」と聞く。
「いいや」
「だったらいらないじゃない」
着物もそうだけども、私の母は、「何がいるの?」と聞いておいて「これが欲しい」というと、わざと勿体ぶるところが昔からあった。
実家に電話したときに、たまたま父が出て、
「楽しくやってるか?」
などと、世間話をした後、
「何かいるもんがあったら送ってやるよ」というので、
「バスタオルが欲しい」と伝えた。
前回、実家に帰った時に、クローゼットの奥に箱のまま積まれたバスタオルがあるのを知っていたからだ。
「お~い、母さんよ、あすみがバスタオルがいるらしいわい」
そう、母に伝えたときも
「バスタオルはこっちで使うもん」
と、あんなに積みあげてあるのに・・・と思ったものだ。
足しげく通っていた高級和食器のお店に訪ねて2人して、お昼ご飯をご馳走になったとき、その時のテーブルが、表面に小さな凹凸加工がしてあり、角もまあるくしてあってとても良かったので
「これ、傷がつきにくいし、いいですね」
と伝えると、オーナーが
「これ、いいでしょ?食器もたくさん乗るし、こうやってひこずっても傷がつかないから、今から子育てするのに、ちょうどいいから、私も娘に送ってやったのよ。安いし・・・良かったら、あすみちゃんに買って送ってあげたら?仕入れ先から直接送ったら安いわよ」
母は「じゃあ、そうして」
と、その場でオーナーが電話で注文し、マンションを引っ越してからずっとテーブルが届くのを待っていたが、なかなかテーブルは届かなかった。
その間、夫はソファーに座り、フローリングの床に、トレイに食器を乗せた情態で、ご飯を食べていたが、
「テーブルはいつ来るの?」
待てど暮らせど届かないテーブル。
母に電話をしていつ届くか聞いてみた。すると
「テーブル?何の?」
「ほら、○○さんのところに行ったときに、テーブル勧められて、頼んだじゃん?いつ来るんかねえ?
困ってるんだけど・・・」
そういうと
「ああ、あれ?気が変わったから断ったんよ」
いつもこうだ。
それならそうと早く言ってくれたら、こちらでソファーやなんか買い揃える時に一緒に買ったものを・・・
実母には、落胆させられることばかり。
落胆させて、私ががっかりする顔を楽しみにしている。
母は知らなかったのでしょう。
がっかりさせたら、今度は自分ががっかりさせられることを。
義母は旅行に連れてってくれたり、誕生日には必ずカードを添えてプレゼントを送ってきてくれた。
義母は決して落胆させてはならない。そう思っている。