私はお見合い相手だった夫と結婚して、遠方の社宅に移り住んだ。
社宅は周りに何もない山の麓の古びた鉄筋アパート。
当時お気楽に社会人になってから運転免許を取りに行けばいいと思ってたのに、残業続きで時間がなく、結局、免許はとれずじまいで、結果ここの社宅の暮らしはとても不便なものになってしまった。
周りの多くの友達は、学生時代に免許をとっていた中、私の家では、そんなお金のかかることを言い出せる雰囲気ではなかった。
また、母親も、
「社会人になって自分のお金でとるのよ!」
そんなことを前々から言って布石を打たれていた。
不便でも、何でも良かった。
とにかく、私は過酷な状況下で働かされていたことと、家では週末以外 毒母と2人だけの生活で、家の手伝いに加えて、こんなに働いているのに、食費だ、電話代だ、着物代だ、前にあげた洋服代だのと、手元に残るお金がいつも僅かで、身動きができなかった。
母から離れられてお金を搾取されなくなったことで、どんなに開放的な気分になったことだろう。
きっとそんな私の苦労を見て、神様が引き合わせてくれたであろう穏やかで心の広い夫と2人なら、どんなことでも乗り越えて行けるはず・・・そう希望に満ちていた。
研修期間を終えてからの結納、結婚式までの期間はとても幸せな時間だった。
穏やかでいつもニコニコしていた夫は、私の要望など、伝えると全て「いいよ♪」と応えてくれて、歳が離れた男の人に包容力や頼りがいを感じた。
「結納金が少ない!」トラブルの好きな毒母のせいで、嫌な結婚式にならなければ良いが・・・と案じていたけど、滞りなく結婚式も披露宴も無事に済み、安心した。
私については極力お金をケチりたい毒母だが、みんなの目に入るところの披露宴などは、地元の祝い太鼓の演出も呼んでとても派手な宴となった。
懇意にしていた和食器店のオーナーが、
「わああ、あすみちゃんの結婚とか、どんなんだろうか、いいもの好みのお母さんが、どんな着物やら嫁入り道具やら持たせるんやろ、見に行きたいわあ 」
こだわり派でいいもの好みの母は、これまでにもセール品などは1度も買ったことかない。
母をよく知る周りの人も、本当のところを知らない、仲の良い母娘が、どんな結婚の支度をするんだろうか、はとても興味を引いたようだった。
でも私にはわかっていた。
昔から私には極力、お金を出したくないことを。
嫁入り道具というのがどんなものか私はわからなかった。母も極力ケチりたいと思っていたからか、都合が悪いことを私には言わなかったし・・・。
「結婚というのは、自立した2人が手鍋を下げて1から築いていくもんよ」
人が聞いたら筋の通った話に確かに聞こえた。
「結納金で収まるように買うの!」
持っていく電化製品なども、新生活を始める女子大生の独り暮らしみたいなコンパクトなもので、アイロンやトースターなどの小さいものは、友達からのお祝いの品としてもらうようにした。
洋服タンスやドレッサーなどは母の仕事先の付き合いで、職人さんが1から作るオーダー家具。
とても可愛くて気に入って買ったが、それとチェストの3つだけ。
でも、自分のものを1度にたくさん買うことが今までなかったので、私はとても満足していた。
新婚生活は夢いっぱいで希望に溢れるものと信じて疑わなかった。