あすみとモラハラ夫との卒婚生活

モラハラ夫  卒婚生活 カサンドラ

母の日が近づいて思い出すモラハラ母


もうすぐ、母の日。

実母は4年前に亡くなったが、お姑さんは少し痴呆が入っているが、まだ元気でいる。

義母さんは、嫁の私にも、また、4人の子供達にも、誕生日の当日に届くよう、必ず誕生日カードと、お祝いのプレゼントや、お祝い金を送ってきてくれた。

f:id:hyumama:20200506130848j:plain

今思うと、ひとりひとりに、それぞれ、違うカードを準備して必ず当日に届くようにすることは、なかなか大変なことだと、この歳になって考えが及ぶようになった。


お姑は本当に、私達家族のことをいつも気にかけてくれた。
傍若無人な夫の振る舞いを正当化し、そんな息子をいつもかばって、腹が立つこともあったけど、それでも、困ったことが起きた時にはいつも励まし、助けてくれた。


お姑の喜寿の時には、夫と子供達とで、地元のセレブな旅館で1泊。旅館の方に金屏風と花束を用意してもらって、みんなで記念写真をとり、母も喜んでくれて、とても良いお祝いの会となった。


「喜寿よ」などと、お姑にせがまれたわけではない。
「兄の喜寿のお祝いをかねて旅行にいくのよ」
と言っていたのを思い出し、いつもよくしてもらっているから、こんな時くらいは・・・と夫と相談して計画したんだと思う。

喜んでくれて本当に良かった。






実母と私は同じ誕生日だったから、小学生のうちは、家でお誕生日などひらいて友達も呼んだけど、中学にあがったころからは、もう、そんなこともなく・・・と言うより、同じ誕生日という理由で、母からプレゼントを要求されることになった。

それがまた、いちいち高い。

中学生になってからやっとお小遣いが¥1500になったのに、それまでと一緒で、学用品はお小遣いでまかなっていたので、友達とどこか出かけるとかができず、いつも断っていた。
そのうち誰も誘ってくれなくなった。




実母の誕生日には、お正月に祖母や両親からもらったお年玉でまかなうようになる。

自分で高い物を買ってきては、
「これ、誕生日のプレゼントにして」

と、いつも¥5000くらいあげていたような気がする。
母の日もそうだ。

「はい、母の日よ、これ買ってきたから、これでええわ、¥5000出しなさい」

もはや、プレゼントとでもなんでもなく、悪代官が、貧しいお百姓から年貢を取り立てるというような感じ。

だからいつも、自分の誕生日と母の日や父の日などの記念日が、ためたお年玉がなくなり、自由に使うことができなかったから、とても憂鬱だった。


実母は家族の人がいくらお金を所持しているかを、管理していなければ、気持ちがおさまらなかったのだろうか。
それは、ちょっとモラハラ夫にも共通する。

専業主婦の間は、なんだかある程度、高くても「買えばいいじゃないか」と自由に使わせてくれていたのに夫はあの日以来、変わった。


「働いてよ」と言われた時も、入ってくる収入がどんな内訳で支出していくのか、よく聞かれた。
働き始めた時には大学生3人だったから、収入の全ては、給料が入ってきたその日に、家賃や、仕送りなどで、すぐに0になる。

不機嫌になったのはそのあと
1000万円転がりこんできた話 - あすみとモラハラ夫との13000日


自分が管理できないお金を私が持ったとき。
授業料やその他、助かることを喜んでくれるかと思ったのに、全然違って、ハラスメントがひどくなった。
メルカリなども夫は気に入らない。


夫にとって、私は奥さんじゃなくて家来か、使用人。
お殿様より、家来の方がお金を持っていたら腹も立つだろう。


ハラスメントをする人の思考は上か下かなので、そう考えると、頷ける。


f:id:hyumama:20200506162317j:plain

実母には、結婚してからも、母の日に高い品物を贈らないと・・・と、もはや、強迫観念のようになっていた。

なのに、もちろん夫にも私にも誕生日のお祝いらしいことは何もないし、子供達の誕生日も忘れている。
お姑さんと大違い。

お姑には、いつもそうやってきちんと言葉も添えられ、誕生日 当日にプレゼントを送ってくるから、私達に少し、時間とお金の余裕が出来てからやっと温泉に連れてってあげたり、旅行をプレゼントできたりするのに、

実母は
「こっちも親なんだけど!」
「喜寿なんだけど!」

「感謝が足らない!」

て言ってくるから辟易とする。

マイホームを建てた時に10万ほど、銀行にお祝いとして振り込まれけど、「古稀なんだけど!」
母から受けていたモラハラ マネハラ その背景 7 引っ越し - あすみとモラハラ夫との13000日

と言われて、すぐに返した。

兄には何も要求しないのに、私にだけ言ってくる。

本当に疲れる母親だった。


今は亡くなってホッとしている。
母との思い出なんか何にもない。
帰省した時に子供達に得意のお料理を振る舞ってくれたことくらいかな









 

にほんブログ村 シニア日記ブログへ
にほんブログ村 

にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へ
にほんブログ村