あすみとモラハラ夫との13000日

毒親育ち モラハラ夫 エッセイブログ

モラハラ母 記憶に残る呆れた言葉の数々


母の日が近いので、どうしても亡くなった母の嫌なことが思い出されて・・・
どうしようもないので、ここに吐露しています。


母はいつも思ったことをストレートに相手にぶつけます。
それが相手を傷つけているかどうかなんて考えてもいません。
いちいち傷ついているそっちの性格が悪い!と思っていたかも知れません。


たくさんありすぎて全部書くことはできませんが・・・

やっぱり1番は私が4人めの子供を産んで2ヶ月の時、救急車で運ばれて入院した時です。

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上の子供はギャングみたいな2才と3才、そして小学生

毎日の過酷な子育ての生活に、とうとう体が悲鳴をあげて、2ヶ月の子のオムツを変えようと、手を伸ばした時でした。

今まで経験したことのない激痛が走り、そのまま、動けなくなってしまいました。

その時のことはこちらに↓

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10日ほどして、なんとか歩けるようになり、自宅に戻って母に電話を入れた時、

「好き好んで4人も子供 産むからよ!」

耳を疑いましたね。
人間とは思えませんでした。
それまでも、きつい母と思っていましたが、ちょっと異質なものを感じたましたね。

良い風に考えて、弱っている私のことを奮い立たそうと思って言ったことかな と思うようにしたのですが、自分が同じ状況になった時には、家事ができないから手伝えと言わんばかりでした。

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1年前に、吐き捨てた暴言など、全く覚えてない風でした。

それよりも、娘が助けてくれない可哀想な母を訴えているようでした。

自己愛性人格障害の人は、人が窮地に立たされているのは理解できませんが、自分が窮地に追い込まれると大騒ぎします。
自分の置かれている状況が如何に大変かをうるさくいいます。

この時、母は父との2人だけの生活で、子供の世話をするわけではないし、入院すれば、簡単に済むことだったのに、病院代をけちりたいために、娘だから親のことをするのは当たり前でしょ、と言わんばかりでしたね。

私が手伝いに実家に帰ったら、子供達の世話は誰がするのかなんて、(そっちでどうにかしたら) という考えです。



2番めの呆れた言葉は、1人目は里帰り出産をしたのですが、(この時も普通ではありませんでしたが)
2人めを出産した時です。

長女が小学生でしたから、里帰り出産というわけにも行かず、私は当然、母が産後のお手伝いに来てくれるものだと疑わなかったのです。

「いつから来てくれるかねえ」

というと
「いか~ん」

というではありませんか、耳を疑いましたね。

母親として、娘が大変な時をなんとか手伝ってあげないと身体に障るとか、そんなことはどうでもいいのです。

その頃、母の始めたお店が大繁盛していて、10日くらい、せめて5日くらいでも来てくれたら助かるのに、店を閉めると損と考えたのでしょう。

自己愛性人格障害の人は何でも損か得かで判断します。

2人目も3人目も4人目の子供が産まれたときも、産後のお手伝いには、お姑さんが手伝ってくれて、本当に助かりました。



こんなことがずっと続いていたので、実母については何かあっても、私のことは助けてくれない人、と考えを改めることにしました。

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3番めの母の呆れた言葉。

これはもう晩年になってからですが、病気になり、入退院を繰り返すようになってからです。

3ヶ月くらい入退院を繰り返していたのだと思いますが・・・思うというのは、私はもう危篤という知らせの時しか行かなかったからです。
このときは持ち直して暫くは普通に入院生活を送っていたようです。

退院してから電話がかかってきましたが、その時の言葉に呆れました。

いつも通りいきなり用件から言います。

「あんたは看る親がおって幸せやねえ、みんな親を看たいと思った時にはもう、死んでこの世におらん言うて悲しんどるのに、あんたは良かったねえ」

呆れて笑いが込み上げてきました。

こんな電話をかけてくるのは余程のことでしょう。
霊感商法などで、高額なものを友達や親戚に売り付けて、兄も家を出て行き、娘のように可愛がっていた林さんとも電話がつながらず、人生が『詰み』になっていたのです。


美人で何でも器用にこなし、明るく話題も豊富で、華やかに過ごしてきたはずの、自分の人生がいよいよ幕を降ろすと言う時に、やっと、自分の周りに誰もいなくなったと気づいたのでしょう。


「そうね、忙しいから切るね」

電話を切りました。

体が弱って行くのは、義母も一緒です。
義母が私を助けてくれたように、体力を温存してしっかり義母を看てあげられるようにして置かなければなりません。


そのことをしっかり認識した実母からの電話でした。