あすみとモラハラ夫との13000日

毒親育ち モラハラ夫 エッセイブログ

社宅で出会った彼女


『小川さんとお見合い結婚した』
というのが長く地元に住む社宅の奥さん方の興味を引いたらしく、「お茶でもいかが?」と声をかけてくれた。
せっかくなのでと、何回か伺ったが、聞きなれない方言と、地元ならではの話題で盛り上がることについて行けず、車がなくて自由に出かけられない閉塞感と、社宅に慣れなきゃという焦りも出て、少し疲れていた。

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そんな時に、大原さんという人が1階下に引っ越ししてきた。彼女はひとつ歳上。
偶然にも同じ日に結婚式を挙げ、行った新婚旅行先も一緒。地元も近く。

ミッション系の大学に4年通った後、私と同じような金融会社に勤め、過酷なOL生活を送ったという経緯がとても似ていて、何より地元の人が多い社宅で、よそからやってきた ということで、意気投合した。

同じ頃に1階 上にも高上さんという人も都会からやってきた奥さんとも親しくなり、3人が、毎日お互いの家を行き来するようになった。





大原さんの奥さんは、私より後から社宅に入ったのに、ご主人と同じ部署の奥さんともすぐに親しくなり、あちらこちら部屋にお邪魔していたようだった。

ある日、大原さんが「なんか、高上さんの奥さん、超 お金持ちのお嬢さんなんだって」と話してきた。

1階上の高上さん、いつも控えめで、愛想よくニコニコした可愛らしい奥さん。飾り気がなく着ているものも、トレーナーにデニムという感じで、私の印象は普通の奥さんに近かったが、その噂が流れてから高上さんの家に大原さんとお邪魔したとき、彼女が
「なんか、すごい桐箪笥があるって聞いたよ、見せてよ」といった。

社宅だからどこも2DKの同じ間取りで、ひとつはリビングとしてひとつはプライベートな空間として使うしかないので、襖の向こうの部屋に、皆箪笥やら置いていると思うのだが、お布団が重ねて置かれていたりすることもあるので、「見せてよ」というのはどうなんだろう・・・とは思ったけど、高上さんは快く襖を開けてくれた。

すると、鬱金色に家紋が入った油単がかけられた総桐箪笥がそこにあった。

「うわああ!すごいじゃない!中も見せて~」

大原さんは、興味深げに開けてくれた中をまじまじ見ながら、
「どんなものを誂えたの~?」
と質問攻めにした。


高上さんは
「よく、わからないの、私は着物は一人では着られないし・・・母がすごく着物が好きでお嫁入りの時には総桐箪笥にたくさん着物を詰めて贈りたいってずっと言ってたもんだから・・・何が入ってるのかよくわからないの」

「へえ~凄いね~」と彼女。

私は知識がなかっただけに、何が凄いのかもよくわからなかったけど、彼女が「凄い」を連発するので、きっと凄いんだろう、ぐらいしか思わなかった。


そういえば、私のところに来たときも
「箪笥をどこに置いてあるのか見せて」というので、襖を開けて見せたことがある。その時に
「これだけ?」と言われたが、これだけしか持ってこなかったので、「これだけよ」と答えた。
「こんなん、自分のものしか入らないじゃない、ご主人さんのものはどこに入ってるのよ」
あまりに次々詰問するので、
(なんかいけないのかなあ)
と思ったが、
「チェストに入れてるよ、入りきれないものは押し入れタンスに入れてるし」
というと彼女は
「ちょっと少なくない?」
と言った。
一緒にいた高上さんは黙っていた。


大原さんは気さくなつもりだったのかも知れないけど、あちらこちらにお邪魔していて
「2階東棟の中田さん、ご実家が大きなりんご園を経営されてるんですって!」
「西棟の、榊原さんの奥さん、K大大学院出られてるんですって」
・・・とかなりの情報通だった。


彼女に言われてあらためて持ってきたタンスを見た。
職人さんが1から作ったオーダー家具は私のお気に入りだった。
他のお宅が物で溢れていたような感じがしたのは、持ってきた箪笥が部屋の大部分を占めていたからだ。
それを見ても私は
(良かった、部屋を広く使えて)
ぐらいしか考えてなかった。




大原さんも、OL時代が忙し過ぎて運転免許をとってないというので、2人で教習所にも通った。

車を持っている高上さんに乗せてもらって、結婚してからなかなか覗いていなかった駅前のブティックなどにも連れてってもらってウインドウショッピングも楽しんだ。

その頃流行りだしたアレンジメントフラワー教室に
「行かない?」と誘われて、3人で教室に通うようにもなった。



そうやって付き合っていくうちに、いつからかひづみが出てきたのだろう。