昨夜 思いがけない人から電話をもらった。
電話の主は亡くなった母の末弟の奥さん。
血の繋がっていない叔母になる。
叔母と最後に会ったのは5年前の母の葬儀の時。それから後 1度だけ、私がお礼状を書いた手紙の返事をもらい、年に1度、年賀状をやりとりするくらいのことだった。
スマホにかかってきた名前を見た時には、
久しぶり過ぎて 何かあったのかなと思った。
母が存命の時には親戚同志のトラブルが多かったからだ。
でも、母は自分の方の兄弟については とてもよく面倒を見ていて、ひと回り違いの弟の学費も母が援助して大学を卒業させた。
叔父は後に国土交通省の省員となり働いた。
叔父さんが叔母と結婚する前の独身の時にも、よく家に遊びにきてくれて、兄と私とトランプをしてくれた。
七並べやセブンブリッジ
今のように遊びが少ない中、叔父とのトランプはとても楽しかった。
叔父はいつも笑っていた。
叔母と結婚してからも2人の幼い息子を連れてよくうちの家に遊びにきてくれた。
従兄弟の中で1番よく遊んだかも知れない。
そんな叔父が癌でこの世を去ったのはまだ42歳と言う若さだった。
幼い2人の息子はその春ちょうど中学生になる子と小学5年生。
家に届いたばかりの真新しい中学校の制服を着た息子の姿を見て 布団に横たわっていた叔父が目を細めて力なく微笑んだと言う。
中学校の入学式の3日前、息子の晴れ姿を見ることもなく叔父は息を引き取った。
「1度も怒った顔を見たことないのよ」
その言葉を聞いた時、叔母の結婚生活はとても、幸せだったんだと感じた。
あれから30数年の月日が経ち、あの時 中学生だった息子は47歳になり、大学生と高校生の息子がいるという。
「そんなになったかね・・・」
「そうなんよ、私 75歳だもん」
張りのある声からは、とてもそんな風には思えなかった。
「まだ働いてるんよ♪」
叔母の変わりない様子が伺えて、明るく強く生きていると伝わってきた。
叔父は残した家族を天国からどんな風に見ているだろう。
亡くなった母とお喋りでもしているだろうか。
「お父さんはワクチン打った?」
医者嫌いの父が、注射や薬を嫌ってワクチンを拒否してるんじゃなかろうかと心配して電話をかけてくれたのだった。
「この前打ったんよ、今週2回め」
「ああ、だったら良かった、いやあ、お父さんのことやから『わしは打たん』とか言ってるんじゃないかと思ってね(笑)」
「最初はそんな感じだったから強制的に連れてったよ(笑)」
「良かった良かった、それが心配でね、電話したんよ」
父をこちらに連れてきてから5年の歳月が過ぎたが、こうして父のことを心配して電話をかけてきてくれて有難い気持ちになった。
それは、亡くなった母が叔父の家族のことを気にかけ、よくしてあげていたからかなとちょっと思った。
私とは確執のあった母のことをその後 手紙に
「お母さんはいつもとても楽しそうだったよ♪お母さんみたいにイキイキした人生を見習いたいよ」
と認めていた。
それを読んだ時には、まだ受け入れられなかった自分がいたが、娘が結婚前提にお付き合いしている彼氏を連れてきたり、息子の内定が決まったり、そして、こうして父のことを心配して電話をかけてきてくれた叔母のことを考えると、亡くなった母が、家族のことを気にかけてくれていることが伝わってくるような気がして、目頭が熱くなった。
今、息子と一緒に夫と離れてアパート暮らしをしていることを、母はどんな風に思っているだろうか・・・。
いや、そうなるように仕向けてくれたのかも知れないとも思う。
父の日が近い。
母の分まで長生きしてもらいたい。