父がこの前から、「大原って京都のどの辺かね」と再々尋ねてくる。
京都大原は有名な歌にもなっている。
子供が京都の大学に在学中、息子のアパートを宿代わりにして、よく遊びに行ったが、なかなか会えなかった友達と待ち合わせて一緒に行ったのが、大原。夏だった。
「北の方にあるじゃん」
と、スマホで京都の地図を見せながら説明した。
父も、京都へは仕事の出張のついでにあちらこちら観光をしていて、息子の在学中に京都を訪れる時に、「一緒に行く?」と誘ったが、頭の上で手を横に振りながら「わしゃ、京都は何回も行っとる」と言ってあまり興味がなさそうだった。
それなのに、最近、よく大原のことを口にするようになった。テレビでやってたのかな。
あんまり何回も言うので「行ってみる?」と言ったらまんざらでも無さそうだったので、宿泊施設をネットサーフィンでいろいろ検索した。
息子がいる時だったら、行きやすかったのに、その時にはそういう想いにならず、今、「行ってみたいなあ~」
と、父が言い出すのはよほどのことだと思った。
父と旅行なんてしたことない。母が財布を握っていたので、言い出せなかったのかもしれないし、行くときには母だけが、さっさと出かけた。
しかも一流処が好きな母は、予約一組だけとかそういう高級な宿に泊まりたがり、私は父と兄とで、いつも留守番だった。
「私も行きたい、連れてって」
などと言うと
「自分で働けるようになって自分で行きなさい」
と、聞けばそれが躾のような言い方をしたが、お姑を連れて家族みんなで、韓国旅行をした時には、「こっちも親なんだけどっ!」と連れて行かないことに腹立たしい様子だった。
本当に自分のことしかわからない人だった。
父は早くに両親を亡くしてきょうだい8人身をよせながら暮らして貧乏だったので、辛抱強く、物を欲しがらない。
買うことをとても嫌い、買う時には、そのものが破れだり、壊れたりしない限り次のものを買わない。
そんな父だったから、「行ってみたいなあ~」と呟やいたのは、よほどのことだと思って、なんとなくスマホを手にして、ホテルや旅館などを検索しはじめたのだ。
家族旅行と呼べるのは、ただの1回だけ、小5の時に仕事について島に行ったくらいのことだ。
それも半分は仕事。
元気だとは言え、94歳の父を京都観光に連れて行くのは、前もっていろいろ、申し合わせをしておかなければならない。
こちらに連れてきた時には、4キロくらい平気で歩き、観光スポットになっている山に「登って降りてきたわい」と言ったのが88歳の時で、「そんなこと絶対止めてね」と怒って言ったことがある。
一昨年に圧迫骨折をしてから、遠くまで散歩ができなくなり、1日3000歩くらいになった。
それでも「94歳なのに?」とみんなに驚かれる。
年々、確実に老いていることを考えると、旅行するのも最後になるかも知れない。
大原には行くとしても、あまり歩きまわらず、ゆったりとした宿泊施設ステイで京都らしい食べ物とおもてなしを満喫できるところをと思っている。
昨年、息子の引っ越しも、卒業式もコロナ感染拡大で訪ねることができずに、お世話になったバイト先の方など、挨拶ができなかったことが気がかりだった。
この際、懐かしい友達にも会いたいだろうからと、息子も誘い、娘も誘ってみた。
何回も訪れている京都であっても、孫ちゃん達と行く旅行はまた格別だろう。
米寿などのお祝いも、席を設けようとすると、「ええ、ええ」と遠慮した。
めんどくさいのか何なのかよくわからないが、宿泊施設は予約を入れてしまったので、気が変わっても困るので、カレンダーに【京都】とマジックで記して、度々、めくって見せては確認してもらおうと思っている。
それにしても、京都は費用が高い。
何か売れそうな貴金属を探してみよう。