私は夫とお見合いの末に婚約した。
夫は地元の進学校を出たのちに、国立大を経て東証第一部上場企業で働くごく普通のサラリーマンでした。
夫も30を越える年で、周囲からお見合いを勧められてたのでしょう。お互いの家をよく知る人がお世話をしてくれて、私と出会いました。
私はいつもヒステリックで、喜怒哀楽の激しい母をみていたので、一生を共にする人に求めるのは、
外見や学歴や年収などではなく、とにかく絶対に、怒らない穏やかな人をと願っていました。
婚約中の夫はとても穏やかで、怒らない人でした。
私が実母に苦労した分、きっと天の神様がちゃんと見ててくれて、私にご褒美をくださったのだと思いました。
義母も私にとても親切で優しく接してくださいました。プレゼントもたくさん買ってくれました。
この穏やかで優しい夫との、結婚するまでの間が私の今までの中で1番の幸福の時間だったかも知れません。
それは家に仲人さんから結納についての電話があった時でした。
いつもそうですが、甲高い母の声は電話口で、より激しく甲高い声になりました。
何か文句を言っているようでした。電話を切った後に
「まあ~!人を馬鹿にしてるったら、どういうことかしらね!」
父も私もいましたが、母は舞台のひとり芝居のように、こぶしを握りしめて、大きな声で立ち回っていました。
「ほんとに悔しい、大事に大事に育てたひとり娘を!」
どうやら、提示された結納金が少ない ということのようでした。
私は結納金の話より、母の発した「大事に育てたひとり娘」の方が興味をひきました。
(大事だった?私のことが?)
さらに母は続けました。
「こんな安い結納金だったら、ちゃんとした嫁入り道具を持っていくことはないね!」
ああ、そういうことかと合点がゆきました。
大事に育てたひとり娘なのに結納金が少ないと腹を立て、いかにも正義をふりかざす親に、母は成り済ましたということです。
今まで「あすみが結婚するときは、全部こっちが出さんといかんのに」と言って私から多額のお金を搾取してきたのに、そんなことはどうでも良いのです。
私は母の顔を見てニヤリと笑うと、見透かされそうに思ったのか、フンと目をそらしました。
単身赴任だった父はそんなことを知りません。
また、私が言ったところで、また母が「親不幸者」と烈火の如く怒って父を言いくるめるくらいのことは朝飯前です。
結納金はお給料の約3ヶ月分と聞いていて、周りのお友達に聞いても、夫の結納金が少ないとは思わなかったし、30を過ぎていたので、聞いた友達の中には
「・・・え 、お給料たくさんもらってるんだね」
と、なんか、聞きようによっては私が自慢話でもしてるかのように捉えられると、あまり言えませんでした。
母は尚も、父に同意を求めるかのように
「ねえ!お父さん!大事に育てたあすみも安く見られたものねえ!」
父 「そりゃあ、嫁入り道具を持っていくことはならんなあ!」
父なんか、とくにお金のことは母任せで、おこづかいも月に5000しかもらってなかったんだと思います。タバコも吸わない。お酒も飲まない。買い物もしない。
全部 母に渡して、お金のことは全くわからないのに、そうやって都合の悪いことは
「主人がそう言った」
と言い、正論でも振り撒いているかのようでした。
正直、結納金や嫁入り道具なんて、私はよくわからなかったし、どうでも良かった。とにかく、そうやってトラブルの好きな母に邪魔させないようにするのが精一杯でした。幸せな門出にケチがつくのが嫌でした。
「結納金が少ないとか、そんなこと向こうに言わんでね かっこ悪いから」
「そうね、結納金の中で支度をして行けばいいことなんだから」
3人で晩御飯を食べているときにそんな話をしました。
父がいる時にわざと聞いてみました。
「ねえ、私が毎月入れていたお金はどこに行ったの?」
「あれは食費でしょうが!!」
毎月毎月、昔あげた洋服代だの、電話代だのと、食費とは別にお金を入れたはず。
すかさず母は荒げた声で、(それ以上言ったらどうなるか!)とでも言わんばかりに怒鳴りました。
でも結婚するにはお金がいります。
父は
「それで、いくらぐらい貯金があるかね」
と聞くと、母は、
「ないのよ・・・それが・・・」と、今度は悲しい顔をして続けました。
シンガーソングライターの武田鉄矢が福岡の大学在学中に、歌手をめざして上京した折りに、「大学だけは卒業してもらいたい」と母親が、歌手デビューしても売れなくて帰ってきたときのためにと、8年間ずっと大学の学費を払い続けた
と、この前 テレビでやってた話を引き合いにだし、
「私もお兄ちゃんがいつか大学に戻ってやり直してくれるんじゃないかと、実はずっと学費を払い続けていたんよ、お父さん」
「そんなバカなことするから、せんでいいのに」
と、母は武田鉄矢の美談を出して悲しい表情をしましたが、私は言いました。
「ほんとかしらね!そんな話!」
母は宝石を買ったり、着物を買ったりするのを知ってます。
「大丈夫なの?」と聞くと決まって
「全部 あすみのものになるのよ~」
と、結婚の時には私の嫁入り道具になると言わんばかりで、そんな美談は常識的に信じられませんでした。
父の役所の積み立てでなんとか資金を用立ててもらって、結婚式は招待客100名で、華やかに行われました。