あすみとモラハラ夫との13000日

毒親育ち モラハラ夫 エッセイブログ

マネハラ母の異常なお金の執着とコントロール


小さい頃から母には、学用品代込みのおこづかいしかもらっておらず、成長期にも関わらず、洋服は兄や体の大きい子のおさがりばかり。

洋服を買ってもらえるのは、祖母が毎年、新しい年を迎える前にお金を送ってくれて、それで買う1年に1回。

欲しいものはお誕生日に買ってもらうだけ。


持たされていたおこづかいが少なくて、自由に使えず、お友達から誘われても断ることが多く、いつも近所の決まったお友達としか遊ぶことができなかった。

それに、母は散らかったり、子供が食べたり飲んだりするのを嫌がり、友達を家に連れてくるのをとても嫌った。
友達にあからさまに嫌な顔をしたし、帰った後に友達や、その親の悪口ばかり言っていたので、「おいで」と言えなくなってしまったし、私も母の言うようにその子のことを悪い子だと思うようになり付き合わなかったりした。




私が母親になったら、子供達が家に友達を呼んでも楽しく遊べるように迎えたい。
家が散らかったら「みんなで片付けってってね」と伝えればいい。

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お腹がすいてるようだったら、なんか適当に家にある袋菓子でも出してあげればいい。
夏はスポーツジャグに氷と麦茶を入れておき、
「喉渇いたら、適当に飲んでね」って伝えればいい。
友達の成長は我が子の成長。


気に入らなくて喧嘩をしても、すぐに仲直り・・・そしてまた喧嘩、そんな小競り合いでコミュニケーションをとりながら成長していけば良い。

子供同士で遊ぶのはとても大切。


実母が父にも私達 兄弟にも僅かなおこづかいしか渡さなかったのは、自分がコントロールできるようにするためだったのだろう。

父は子供の頃に両親を亡くして、一回り上の兄や姉の収入で貧しく生活していた。

貧乏は慣れっこ。

お酒は飲めないので、誘われることもほとんどなかったが、それでも、たまに「飲みに行かないか」と誘われると母に「少しもらえんかなあ」と、申し訳なさそうに言っていたが、母は「断りなさいよ!」
と、父を行かせなかった。
自分がお金を自由に使うために人をコントロールし、そうやって人の付き合いを切らせていたのだろう。


父はタバコも吸わず、お酒ものまない。賭け事もしない。趣味は囲碁や将棋で全然お金がかからない。

お父さんにも5000円程度の僅かなおこづかいしかあげてなかったんだと思う。

高校生の時に、友達とハイキングにいく約束をした。私はお母さんのおさがりばかりで、みんながはいてるGパンというものを持ってなかったので、母に
「みんなで出かけるからGパンを買ってもらいたい」
と伝えた。
友達が持っているような、ブランドのものではなくて、ダイエーというスーパーの吊るしで¥2000で見つけていた。

「お父さんに聞きなさい」

と言われた。Gパンを買うのにどうしてお父さんに聞かなければならないか、わからなかったが父に言ってみたら、

「ええ!」と「弱ったのお~」と頭を抱えていたが、財布から2000円をしぶしぶ出してくれて、私はGパンを買えてみんなと出かけられた。

そんな買いものさえも、母はお金を自分用に使いたいがために、父のおこづかいから出させたのだ。

「この金喰い虫!」

と母から言われていたので、何か欲しいものがあっても、いい出せなかったし、お正月にもらう僅かなお年玉は、『父の日』や『母の日』のプレゼント用に強制的に母から徴収されていた。


そういうふうに、金銭的な締め付けと、付き合う友達にまで、口出しをする母だったので、家に母の知らない男友達から電話がかかってきでもしたら大変な事になった。


高校生から基督教会へ行くようになった。

母に余計な詮索をされないように、日頃から進学校に通う志の高い男子生徒のことは伝えておいたが、
短大に通っていた時に、サークルを通じて県外の男子大学生と親しくなり、やがて、電話や手紙のやりとりなどするようになったが、母はこの事が気に入らなかった。