晩御飯を持って父の所に行ったら、もう、お得意の野菜炒めを作っている最中だった。
今日は買い物に出かけたみたいだ。
ガラ系の歩数をチェックしたら、2268歩。
ここに連れて来た時に比べたら歩数は3分の1になってしまったが、夏に圧迫骨折になり、ベッドの上で、寝返りをうつのに痛さで唸り声をあげる姿からすれば、92歳の父。
すごい復活力だと思う。
私が持って行ったお味噌汁と、茄子の煮物も食べ、
「あああ~うまいなあ」
「幸せなことじゃなあ」
と、いつも感謝の言葉を口にする。
この前、ゆみ子と2時間ほど、話しこんだときに、夫と結婚したのは、私が手繰り寄せた縁だと言った。
私もそう思う。
実家にいた時より少しましになっただけ。
子供達が成人して、母親のことをどこまで理解してくれているかわからないが、確実に成長してくれて、たぶん孤独ではなくなった。
「私、実家が嫌いだったのよね」
「そこが、解決されてないから、同じことを繰り返しているのよ、答えは北川くんじゃ、ない、お父さんともっと話してみたら?お父さんだって、音信不通になっているお兄さんのこと、本当は気にかけてるはずよ」
それを聞いて、私の中の鼓動が鳴り響いて、口からどくどくと何か吐き出しそうになった。
父は船に乗っていたので、家をあけることが多かった。日曜日休みじゃなかったので、近所に住んでいた幼馴染みの真理ちゃんみたいに家族でお出かけすることもない。
夏休みだと、平日休みの父がどこか連れてってくれるかなと期待したが、とにかく、母がお金をにぎって父はお金を持たされてなかったのだ。
「どっか連れてって」
と、母親にそうせがむと、必ず
「お父さんに頼んでみなさい」
と、私は関係ないとでも言う風だった。
生まれた家のことを綴りだすと、歪な家族関係が掘り起こされる。
兄はどうして、家を出て行ったのか、何を言われたのか、何を言ったのか、
過保護で、愛玩子として育てられたのに、母のお葬式にも来なかった。
それが、兄の母や父に対する思いなのだ。
「うまいなあ〜」
「幸せやなあ〜」
と言う父に、今更、兄がどうして出て行ったのか、籍を抜いたのはどうしてなのか、
そんなこと聞いてどうなるんだろう。
「そんなこと聞いたくらいで、お父さんは不機嫌にはならないよ、不機嫌になったらおかしいよ」
ゆみ子の言う通りかも知れないが、(今日は問いかけてみようかな)
そう思いながらも、父の笑った顔を見ると、問いかけることを躊躇うのだった。