あすみとモラハラ夫との卒婚生活

モラハラ夫  卒婚生活 カサンドラ

お姑は夫がモラハラ人間だと気づいていた


実家を売却してしまった現在、私は母のお墓に近いところのホテルを予約し、そこで一泊した。

生まれ育った場所なのに、ホテルステイをするなんて何か不思議な気持ちだった。

バスの1日パスを買い、朝から無駄なく行動ができるように、綿密に計画を立てたつもりだったが、考えているようには行かなかった。


まず、地元なのにバスの路線図が把握できずに、目的地を過ぎて降りたり、戻ったり。

私は生まれてから夫と結婚して家を出るまで、徒歩圏内でしか生活してないことを思い知った。車の免許ももってなかった。

会社勤めをしていた間は、お客様の所に行くのにもちろん路線バスも利用したが、それにしても、私の生活の何と、狭くて行動範囲が限られていたことだろうか。


これは実母から見えない鎖で繋がれていたからだ。

持たされていたお小遣いも僅かで、その中でやりくりするのは、当時普通だと思っていたが、周りの友達と比べると、かなり少なかったんだと思う。

「レコード屋さんに行こ!」

と誘われても、学区内であるにもかかわらず、そこまでのバス代もなく、それ以前にレコードを聞くステレオの類さえ、家になかったので、流行りの歌の話などになると、話を合わせるのに、緊張したものだった。

面白くない人、ノリが悪い人、ちょっとのことで、仲間外れにされることを極端に恐れた。

誘われても、理由をつけて断っているうちに、誰からも誘われなくなった。


周りに合わせられるだけのお小遣いもなく、祖母や叔父にもらうお年玉などは、〘母の日〙〘父の日〙のプレゼント代として母にもって行かれた。

父も僅かなお小遣いしかもらってなかった。

母はお金を管理することで、その人が経済力をつけ、自立し、自分から離れて行くのを牽制したんだと思う。


私が働くようになってからは、食費ばかりではなく、やれ、電話代、クリーニング代、保険代。加えて以前、ゆずってあげたと言って、自分が着た高い洋服の類を

「半分払いなさいっ!!あげたんじゃない!」

といい、お金を払わされた。

そして決まり文句のように出てくるのが

「結婚する時には全部こっちがせんといかんのにっ!」

だった。

そんな風で私は交通費のかかりそうなところへはなかなか行くことがなかったのだ。

幼い頃も家族でお出かけの記憶はあまりない。

今日、路線バスを乗り継ぎながら、窓から見える風景を新鮮な気持ちで見ていた。 

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お姑の家は街中から離れた辺鄙な高台にあり、最寄りのバス停からは長い坂道を登って行くしかなかった。

バスの便の悪い事!

降りたバス停の反対側に回って、帰りのバスの時間を確認した。

1時間に1本しかなかった。


夫や子供達と帰省する時にはこの道を

難なく車で上がってきたのだ。

そして、路線バスから見かける観光スポットにも、幼い子供達を連れて来たことを思い出した。


実家ではお花見さえ出かけることをしなかった。

夫は帰省して、観光地やアクティビティのあるプールなどにもよく連れてってくれた。

なかなかできないと坂を登りながら思った。

〘親思いで子煩悩ないい旦那さん〙


なのに、どうして一緒に住んでると苦しくなるんだろう。

「幸司さん、仕事止めたから、こっちに戻って一緒に住んだら、車であちこち出かけられるようになるよ」

「いや、いい」

そう言ってお姑は首を横に振った。

夫が戻ってきたところで、食事の支度ができるわけでもないし、お姑もマイペースで過ごしている今が、楽なのかも知れない。

たまに帰るのはいいが、毎日一緒にいたら、喧嘩になりそうだ。

家族って何だろう。

どうして家族なのに一緒にいられないんだろう。

いや、ひょっとしたら、お姑もずっと前から気がついていたんじゃなかろうか。

「本当に思いやりのある子なの」

お姑は夫のことをこんな風に言っていたが、そんな思いやりのある子と一緒に暮らせないのは何故だろう。


まだ認知症になってない時に

「あすみさんも、苦労するわねえ」

と言われたことがある。本当に思いやりのある子と言いながら、あなたも苦労するわねとはどういう意味だろう。

どんなシチュエーションだったかはもう忘れたが、お姑のその言葉がずっと脳裏に焼き付いて離れない。



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