帰省で帰ってきた娘夫婦、息子達もそれぞれ帰って行ったので、アパートに戻ってきた。
今朝方、大雨が降ってその大きな音で5時に目が覚めたので、アパートに帰ってきてから爆睡だった。
自宅は、義姉が来た時みたいに、床もお風呂も綺麗に掃除されて、リビングの真ん中で鎮座していた凶暴犬タロもちょっと前から外に出されて部屋に入れないように繋がれていた。
モラハラ夫がまともになっていて戸惑っている(子供達がいるからかも知れないけど)穏やかでにこやか、たぶん世間の人たちの評価は、目の前にいるこの夫。
朝、いりこと昆布を一晩つけたお出汁でお味噌汁を作った。
我ながら良い出来だと思っていたけど、またモラハラ夫からダメ出しされるんだろうなあと思っていた。過去にこんな風だったから↓↓↓↓
ところが、
「あぁお味噌汁が美味しい」
と。これには戸惑った。
出す料理出す料理、すべて何かしらケチをつけ、ウンチクを言い、作った奥さんの気持ちを逆なでするのが毎回のことだったからだ。
いつからか私は作る段階から気が重くなり、嫌いじゃなかった料理が大嫌いになり、もう諦めのような気持ちになっていた。
ところが
「ちょっと薄かったかね?」
と、あえて問うてみたら、遮るように
「いやいや、ちょうどいいよ、本当に美味しい」
と言った。
こんなやりとりが結婚当初から普通にあれば、別にこの年になって別居などすることもなかったのだ。
誰かがいればモラハラされることはない。モラハラやガスライティングは、誰も見ていないところで、被害者にしかわからないように行われるイジメ。
扉をバーンと大きな音をさせて閉めたり、足元にあるものを蹴り飛ばしたり、怒鳴り声をあげたり、箸を投げたり・・・
あげればきりがない。
優しい時もあるので、(何にこんなに怒ってるんだろう)と、真面目な被害者はいろいろ思い悩み考える時間が増えていく。
モラハラ特有の爆発期を終えるとハネムーン期がやってきて、何も起こらなかったように普通に話しをする夫に、妙に安堵したりする。
この繰り返し。本人は無自覚。
お姑に相談したこともある。
そうすると
「いいじゃない、そのくらい」
「仕事が大変なのよ~もっと思いやりを持ってあげてちょうだいよ」
と言われるだけ。なんの解決にもならなかった。
この穏やかににこやかに喋る夫の、どこが気に入らなくて、お母さんは家を出たのだろう、子供達は普通に首をかしげたくなっただろう。
食べ終わった後は、夫が率先して洗い物をした。
食材を買うときには、「これで買ってきて」とさっと1万円札をくれた。
置き薬から、胃腸薬を一箱持って帰っても
「勝手にとらんでよ、お金払うのはこっちなのに!」
と嫌味を言われたのに。
疑心暗鬼になる癖がつき、裏を読むようになった私は、この優しく穏やかになった夫の変化が、何を意味するのか考えている。
この前の娘の結婚式で義姉と同じ部屋で喋った時に7時過ぎから、立ちっぱなしで4時までの仕事、と言う話しをしたら
「ええっ~めちゃくちゃきついじゃん、それから帰ってご飯のことするん?」
義姉は、台所のことが嫌いでキッチンに立ったことがないと聞いていたので、いつもデパ地下で惣菜を買ってくるような生活だったみたいだ。
仕事から帰って買い物をし、食にうるさい夫のために何品も作る私のことを気づかって、夫に家事を手伝うように言ってくれたかのかと、一瞬思ったりした。
わからない。
長男が
「何でうちのタオルはどれもこれも臭いんっ!」
「ほんまそれ!」
娘も言った。
夫は無言だった。2人の子供は本当のことを伝えただけ、これを私が言ったら手がつけられないほどキレただろう。
洗濯機の中に増毛スプレーの黒い粉が詰まり、いくら洗っても黒ずんでいることや、水流がうまく行かなくて汚い水が逆流するのか、洗濯物が臭いのも、アパートに引っ越してきた理由のひとつだ。
言ったところで、自分に歯向かったと捉えられるのでは、どうしようもない。
壮絶な熟年離婚ブログの主さんは、本当に偉いと思う。
ちゃんと言いたいことは言い返したとブログに書かれてあった。
それに、そんな環境にも関わらず、娘さん2人が優秀で真っ直ぐに育っていること。
これは私の思いだけど、小さい頃の金銭感覚ってとても大事で、
私の家では、小学生の時には、300円高学年になってから500円 中学生は1500円、高校生は8000円そのうち6000円をピアノの月謝で使っていたので、実質2000円。
レコードなんか買えなかったし、友達に誘われてもお金が無くて断ることが多かった私は、そのうち誘われなくなった。
だから楽しくなかったかと言うと、友達に誘われて行った基督教会での催しがとても楽しかった。救いの場所だった。ゆみ子や慶子にも出逢えた。
甥っ子もそうだけど、夫も、我が家の子供達も、欲しいものはすぐに買ってもらえた。
私はそれが嫌だったし、嫌な意味を伝えても、夫や夫の家族には、なかなかその事が伝わらなかった。
離婚した甥っ子の元嫁さんも、クリスマスや誕生日など、余るほどの高額なプレゼントが嫌だったと、沖縄のホテルで義姉から聞いた。
幼い頃に次々、買い与えたら、何が大切で何を優先するべきか、わからなくなる
と伝えたが、お姑も私の言ってる意味が伝わらない様子だった。
「あすみさんは買ってもらえなかったんでしょ、いいじゃない、うちは買ってあげられるんだから」
そうかなぁと。
裕福なお家のひとの考えがよく理解できなかったが、お姑の兄弟姉妹、皆、医者や会社経営者など羽振りがよく、世でいう勝ち組だった。
私も次々買ってもらったし、いつの間にかそれが普通になった。
長い結婚生活で買ってもらったブランド品や、着物やバッグ、アパートに引っ越しするのに、大半を処分し、とても身軽になった。
私が欲しかったのは、ゆっくりと自分に向き合えるひとりの時間、ごくごく僅かなお気に入りの身の回りのものがあれば、何もいらない。
熟年離婚ブログの主さんも書いてあったけども、同じお見合い結婚で、相手との価値観やフィールドが違ってたんだろうと思う。
私が相手にあわせたらいいんだとずっと思ってきたけど、晩年に向うに連れてどんどん苦しくなるばかりで、笑えなくなった。
それでも子育ての頃は4人のせいで、忙しくもあり、楽しく過ごせた。
感謝感謝
あとはひとりひとりが自分の人生を踏み外すことなく歩んでもらいたいだけ。
今日もとりとめなく、長くなり、お読みくださりありがとうございました。