あすみとモラハラ夫との卒婚生活

モラハラ夫  卒婚生活 カサンドラ

護身術


「小川さんはいつもニコニコ笑って幸せそうよ」

近所の人にも言われたし、いつもみんなに言われる。

仕事でいろんな人に合うから、確かに今は楽しいけど、私が、いつも笑っているのは、それが私の護身術だったから。

 

実の母は間違いなくモラハラ母だった。

昭和時代だから、それが普通の躾と思いながら育ったが、明らかに、母は愛玩子の兄と、私を搾取子と分け隔てていた。

まず、食べるものから差があった。

兄には、家族一緒のおかずとは別に、和牛のヒレ肉が与えられたり、生雲丹やふぐ刺しなど、何かしら1品違っていた。自分だけ差をつけられて

「私も食べたい」

というと決まって「勉強する子だけよ、悔しかったら、お兄ちゃんみたいな成績とっといで」

そう憎憎しく言い放った。

助け舟を出してほしいと、ちらっと父の方をみると、父も目を伏せて

「弱肉強食の世界じゃからなあ」

とそうつぶやくように言った。

それはきっと父の本音じゃあないのに、私をかばうようなことを言えば、ただでさえ少ない月の小遣いを毒母に減らされると考えてのことだろう。母は父を経済締め付けで操っていた。

兄にいじめられても、

「お兄ちゃんに歯向かうあんたが悪い」

と、必ず私が悪者になった。

私はその頃から、いじめに耐え抜く術を身につけていたのかも知れない。

 

悔しくて悔しくて、情けなくて悲しくて、

でも、毒母は必ずこう言うのだ。

「そんな顔したらブスが増々ブスになるよ」「ただでさえへちゃむくりんなんやけ、せめて笑っとかんと」

と。

私は美人の母には似ても似つかない父親似だった。

母の嫌いな叔母にそっくりだった私は、

「うちの家系じゃあないわなあ」

と、馬鹿にして笑った。

 

父が家を空けることが多かった中、母は兄とだけ楽しそうに喋り、私が、口を挟もうとすると、眉間に皺を寄せてキッと睨んだ。

家の中に居場所がないと悟った私は、友達に誘われるまま基督教会に行くようになった。

あの場所がなかったら私は今頃、どうなっていたんだろう。

教会で知りあった慶子やゆみ子、志の高い同年代のたくさんの人との出会いは、私の心の拠り所となり、教会の中でなら、私は自分らしくいられた。

寄付金を目的に手作りのバザーやクリスマス、イースターなど、その度にみんな集まって、お喋りで盛り上がった。

 

今年のGWに、30年ぶりに高校からの友達ゆみ子にあった。

30年もの歳月があるのに、出会った瞬間に高校生に戻れてお喋りが尽きなかった。

 

自分は本当はどんなだったんだろう。

本当の私はゆみ子に会ってるときみたいに、大きな口を開けて笑い、大きな声で喋り、好きな事言ったり、自分の意見をストレートに言ったりできたはずだった。

いつから、家の中で、自分の気持ちを悟られないように能面のようになってしまったのだろう。

 

4人の子供達の前では絶対に夫婦喧嘩はしないと肝に命じていた私は、モラハラ夫にどんな理不尽なことを言われようと、ニコニコ笑って「ごめんねごめんね」と、夫をまるで、子供のようにあやして後回しにして子育てをしてきた。

そうすれば、夫からのモラハラを一時的に回避できたからだ。

 

本当は嫌なのに、本当は、自分の気持ちを言いたいのに、伝えようとすると、「誰に向かって言ってるんだ」とばかりに、怒鳴り散らし、大きな物音をたてて、不機嫌を撒き散らした。

 

何でこんな酷いことを言われなきゃあ、ならないんだろう、何でこんな理不尽な扱いをされなきゃあいけないんだろう、お姑に相談すると決まって

「怒らせるあすみさんが悪い」

と一刀両断だった。

(怒らせるあすみさんが悪い、じゃあ怒らせないようにするにはどうしたらいいんだろう)

それはいつも笑っていること。

悔しくても悲しくても、道化師みたいにヘラヘラと。

「こいつに言っても仕方ない。」

「こいつに言っても意味がわかってない」

そう思わせておくことが、自分に降りかかるモラルハラスメントをかわすことができたから。

 

だから明日の婚姻費用調停で、夫に加給年金よりも多く請求が行ったとしても、ヘラヘラ笑って「そんなんだって知らなかったわあ」と答えるつもり。

 

負けない!

 

 

 

 

 

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