あすみとモラハラ夫との卒婚生活

モラハラ夫  卒婚生活 カサンドラ

 

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モラハラ母のいた家 兄と私の進路


私はそのまま、付設の短大に進んだ。
「短大卒業したらすぐ働いて、家にお金を入れるのよ!」
もうずっと言われ続けていたこと。


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「佐藤さんは、どうするの?進路は・・・」

みんなそれぞれ進路を決定する夏頃に、気にかけてくれていた先生が、教会の礼拝後、声をかけてくださった。
「いや~たぶんそのまま短大に行くんだと思います。」
「そうなの、今だったらまだ指定校推薦の枠が空いてるよ。希望者が多いところからどんどん埋まって行くから、もし希望があったら推薦状 書いてあげるよ」

ミッションスクールの良いところで、連携する基督教大学に推薦枠があった。
勉学もさることながら、どんなふうに教会生活を送ってきたかが重んじられる学校推薦。

家に居場所がなく、朝はゆっくり、憧れの上級生に会える場所、そんな不純な動機で通い出した教会だったが、もう私にとって教会生活は生活の一部となっていたのだった。


それに・・・
考古学者になりたいと勉強していたはずの兄は、難関国立大が不合格となり、しかも、何故そうしたのかはわからないが、普通な私立大学の法学部へ行き、私立大学の授業料と家賃や仕送りなどで、私を外の私立大学へ行かせる など到底 考えられないだろうと思った。


それでも、もしかしたらと母に
「高本先生が、考えてるんだったら推薦してあげるよって・・・」
「何、寝言言ってるの!さっさと働くの!この金喰い虫が」
言い終わらないうちに、用事は済んだ。




いいなあ
同級生のゆみ子や、成美は都会のみんなの憧れの大学へ行く。
そして、それに向かって塾も見つけて通って頑張ってきた姿も見ている。家族も応援していた。


私は家族からは応援されない。

親によってこんなに違うんだって思った。

皆、それぞれ事情はある。
母子家庭の礼二君は、高校卒業してすぐに工場で働いたが、愚痴をこぼしたのを聞いたことがない。
生まれつき、弱視のハンデがある一樹君も、何も口にしなかった。



多角経営の事業をしていた家のゆみ子も、成美も、そして美しく聡明な慶子さんも、家が裕福でおかげかと思っていたが、そればかりではなくて、

「私がやってみたいんだけど・・って相談すると、じゃあそうしたら?って両親は言ってくれるけど、あすみちゃんところはそうじゃないの?」

と聞いて、うちの親は、何か伝えようとしても、意見を言おうとしても、それが意に反したら相手がどう思おうと却下し、意思の疎通が測れない家なんだと思った。


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兄が第一志望の大学に落ちた時の母の落ち込みようは酷かった。
「塾に頼らず自力で合格したのよ!」
・・・と自慢して回りたかったのだろうが、受験なんて終わってみないとわからない。

それより何より、あの時 家に遊びに来た2人の友達が東京屈指の私立大学へ合格したことに、愕然としていた。

「東京や関西や滑り止めを何校も受けさせれば良かった」

と相当 悔やんでいたが、母は兄をなるべく近くに置いときたかったから、自らが選択肢を狭くしたのだし、また、兄もどうしていろいろ受けてみる という方法を取らなかったのだろうと、誰にも相談しなかったのだろうかと不思議でならなかった。



『友達はライバル、信用してはだめ』を息子に教えてきたのはお母さんよと言いたかった。

普通、どんなところを希望してるのか、目指しているのかって聞くでしょう。
そして「お互い頑張ろうな」って励ましあうんじゃないのかなあって。


兄は昔から母親のいいなり。

そしてそうなってしまったのは、何かと兄と私で着るものや食べるものを『長男』だからと差をつけてきた。差をつけることで、兄の中に(あんなふうになりたくない)との気持ちを植えつけてきたのだ。

だから逆らえなくなって行ったんだと思った。






そして兄は大学3年の時、大学を止めた。






























 

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