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モラハラ母の長所を思い出してみる


夫にモラハラを受けても我慢できているのは、長年、実母にモラハラを受けて忍耐強くなっているのが原因かも知れない と、ここのところは回顧録として、私が育った環境や生い立ちを綴っています。



モラハラ母でしたが、そんな母親でも、『ここは良かった』というところを思い出して書いてみました。

何と言っても 1番は

母は器用だった

幼い頃から家でお洋服を仕立てて内職にしていましたが、確かな仕立てで、お医者さんの奥様や、代議士夫人など、セレブな人がまたセレブなお客様を引っ張ってきて、その輪は広がっていきました。

「あすみの作ってもお金が入ってこんもん」
そんなことを言って、私の洋服は後回しでしたが、
叔父の結婚式に着たレースのワンピースや毎年 夏の終わりに行われていたピアノ発表会のドレスは、ずっと母のお手製のドレスで、お友達に羨ましがられていました。真理ちゃんのドレスも頼まれて作っていました。

母は料理が上手

母はお料理やお菓子作りが好きで、習っていたのもありますが、プロの域でしたね
口に入れるものには気をつけていて、できるだけ自然に近い食品を摂取することを心がけていて、健康のために食材をお取り寄せすることも多く、カレーなども市販のルーは使わずに2日かけて作っていました。なので、うちではカレーはあまり登場しませんでしたね、大変だったんでしょう。

小学校のうちはお友達を家に招いてお誕生日会もしてくれました。
その時には手作りのデコレーションケーキで、ケーキの上に乗ったバラの花や花びらが とても綺麗で、お友達が「すごいね~!」「あすみちゃんのとこ、ケーキはお母さんが作るんだ!」ととても羨ましがられました。
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(写真は参考資料です)

年齢があがってからは、懐石料理なども習い、家に友達を招いてお料理を振る舞ってました。

母はセンスが良かった

時々、家に友達を招いてはお料理を振る舞っていたのですが、その頃、マニアックなほどに、和食器を買いはじめ、それらの器遣いは、京都の和食料理屋さんかと思うくらいでした。
お洋服もそうですが、色彩選びの感覚とか、型の認識力とか、冴えていて妥協しない母でした。



器用で美人な母と違って、私は不器用でのろく、顔も父親似で、全然違ってました。

「全然 似てないね」とか、母にも「私の系統じゃあないね」と言われるのは、幼心にとても傷つくものでした。
ずっと「お母さんに似てるね」と言われたいと思ってました。

母はプライドが高く、負けず嫌い、自分に歯向かう人や利益にならないと思う人は徹底的に排除していく人、それが、やがて自分に返ってくるとは考えなかったのでしょう

5、6年生になると市の行事に参加することが多くなりました。
ドッジボールのチームに入るのですが、そうすると、学年が上の保護者は、練習中の見守りや、手助けをするように協力が必要になりますが、たぶん、母の性格からして、そんなお金にもならないことに時間をとられることは、時間の無駄と思っていたと思います。

役員が主になり、ドッジボールの見守りやお手伝いをしていましたが、協力的な保護者は、ジュースやお茶を差し入れしたり、蒸かし芋を作って差し入れしてくれる保護者もいました。
人数の多い子供会だったので、保護者の数もたくさんいましたが、母のことは良くは言われてませんでした。
1年に1度市内でドッジボールの大会がありました。母も見にはきましたが、陽に焼けるのを嫌がり、白いレースの日傘に、白に黄色の大きな花柄のワンピース、足も白のお気に入りのサンダルで、試合の始まる頃に来て、終わると帰っていきました。

小3の時に、爆発的にパンタロンと言われるズボンが流行った時に、ズボンをはいた所を見たことはありますが、母は基本、家でもワンピースかスカート、ズボンをはいた格好は、見たことはありませんでした。
その姿は家でいつもみる格好だったので、子供の頃にはなんとも思いませんでしたが、今、私が母親になり、子供達のスポーツ大会の付き添いなどで出かけるようになり、気がつきました。
他の保護者は首にタオルを巻き、帽子をかぶり、ジャージー姿で、お弁当を配ったり、ござを敷いたりしているのに、しゃなりしゃなりとお出ましになったその格好は、きっと周りの保護者からの反感をかったことでしょう。
その矛先は私に向かってきました。

「あすみちゃんのお母さんは全然、協力しない!少しは練習も見においでって、お母さんに言っとき!」

体育座りしている私が見上げると、そこには数人のお母さんの眼がつり上がっていて、怖く感じましたが、それはすべて母親の招いたことです。

「お母さんに似てるね」と言われたいと思っていたのに、そのうちに(絶対に似ないようにしよう)と思うようになりました。
私が、子供を持ち、学校や町内のことを頼まれたら積極的にしようと思いました。


(笑)やっぱり母に批判的ですね

最後に

母は孫をとても好きだった

私のことは嫌いでも、4人の子供はとても可愛いがってくれて、とにかく、たくさん得意料理を作って食べさせてくれました。子供達も母のことは大好きでしたね
唯一の救いでした










 

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