自分の行きたかった憧れの大学でも、将来何をしたいのかわからないまま、ただなんとなく企業に内定を決めたり、(入学したけど・・・何か違う)と感じたり、他にやりたいことがあったんじゃないかと迷ったりして、中退するのは、今の時代 珍しくはない。
一浪してW大学に行った剛君は、卒業を目の前にして、自分は宗教者としての道を歩むと決めて、大学をやめ、神学大学に入りなおした。
表参道の大学に行ったゆみ子も、父親のこねで、一流企業の社長秘書室で勤務しながら、疑問を感じて退社。心機一転 カナダに留学した。
そして慶子さん。
思うような就職がみつからなくて、地元に帰って、教育教材の会社でアルバイトをしていたが、そこで、出会った高校生達が、受験英語のどんなところにつまづき、どうしたら解りやすくなるのか を見ているうちに、教師になる決意をして、教職をとるために地元の大学に編入した。
自分の歩むべき道を見つけた人は、もう迷いはない。キラキラしている。
私が金融会社に入社したその秋ごろに、家に1本の電話がかかってきた。
高いトーンで電話に出た母が、「そうですかあ・・・」と急にふさいだ声になった。
電話は、兄の大学から。
「出席日数が足りてないので、このままでは留年します。」
とのことだった。
兄は真面目な人間だ。いつでも、両親の期待に応えようと努力してきた。
でも、行った大学は自分が勉強したいことではなかった。
そんなことはじめからわかっていたではないか。
何を今さらあたふたしているのか・・・。
受けた私立の大学が、法学部と聞いた時から私は(はあ?)と思っていた。
だって、兄は考古学を勉強したかったのに。小さい頃からずっとそんな本ばかり読んでいた。
なのに、何で法学部?
同じ私立でも、行ったり来たりの交通費が惜しくて都会の大学に行かせたくなかっただけじゃないか。
兄のレベルだったら、私立の考古学部なんかいくらでもあっただろうに・・・。
父が、「考古学なんかでは食えん」と言ったが、食えるか食えんか、そんなのも自分が納得したらその時、自分で考えただろう。
そばに置いときたい母が、父に入れ知恵をしたにちがいない。
都合の悪いことはいつも父に言わせる。
全く興味のない法学部。親の言うとおり毎日毎日、講義に出たけど、少しも興味がなく、意欲も沸かない。
大学からだんだん足が遠のいて、親の目が届かないことで、アルバイトばかりしていたらしい。
両親の落ち込みようと言ったらなかった。
母は、自宅から朝1番の新幹線で、通学させて、なんとか単位をとってもらい卒業だけはしてもらおうと考えた。
馬鹿じゃないかと思ったが、最初から私の意見など聞く親じゃない。
両親は兄を説得して、自宅に戻し朝一の新幹線通学を始めた。
ある日、会社に母から
「お昼ご飯を一緒に食べよう。」
と電話があった。
珍しい。
会社の近くの喫茶店で待ち合わせると、お喋りでテンションの高い母が、がっくりと肩を落として、静かに口を開いた。
どうやら、新幹線通学している兄がキレたらしい。
兄は穏やかで口数の少ない人。親しい人とは喋るが、じゃなかったらあんまり付き合おうとはしないタイプ。
そんな兄と母が大学のことを話しているうちに、突然キレだして
「僕は浪人すれば良かったんだ!」と母が大事にしていたコーヒーカップをガチャーンとテーブルに叩きつけて割ったらしい。
兄のことを心配して私が話しても、耳を傾けなかったくせに、
(それ見たことかと)
と内心 ほーらみろという思いだった。
その頃ちょうど、家庭内暴力で父親が子供に殴り殺された というセンセーショナルなニュースが報道されたばかり。
母は、そんなことが家でも起こるんじゃないかと頭の角をかすめたのかも知れない。
カップをひとつ割っただけで、兄は特になんでもなく普通に過ごしたが、浪人してもう一度 挑戦したい気持ちはあっただろう。
「うちは絶対 浪人はさせんからな」
それも、父親が兄に伝えていた。自分に使うお金以外の無駄なお金を使いたくない母の入れ知恵に違いない。
足りない単位で、毎日、朝から晩まで授業に出てもとても無理だった。
夜遅くなると、帰宅するのも疲れて、兄はまた友達のところに泊まったりして、だんだんと家には帰らなくなり、両親はやむなく休学届けを出した。
母の大嫌いな父親の妹の息子も同じ大学だったことが、母のプライドを傷つけた。
田舎にすむ叔母。1度泳ぎに家族で遊びに行った写真がある。
従兄弟と兄と同い年だったけど、やせっぽっちで背の低い兄とは対照的で従兄弟はでぶっちょで大柄な子だった。
「あんな田舎の子と一緒のレベルじゃだめよ!」
母は兄によくそう言っていた。
従兄弟は合格した。
目指して入った大学と、何でここにきたかよくわからないと思って入った大学と、最初からまるでモチベーションが違う。
従兄弟は無事に卒業して人気の企業に内定をもらった。が、内定を蹴った。
障害を持って生まれた姉の世話をしながら田舎で美容院を経営していた叔母の後ろ姿をずっと見てきた。
そばにいて手助けしようと、大学卒業の後に美容専門学校に行き、美容師となり、叔母の店を助けた。
昔はでぶっちょで大柄だったが、身長184センチで細身になりすらりとして、とてもかっこよくなっていた。
今では結婚して子供も生まれ、地元で美容院を3店舗経営している。
みんな行きたい大学に行って、思い通りの人生を歩んでいるひとがどのくらいいるだろうか。
みんな悩んだり、立ちどまったりするのを、親は、子供の気持ちや意思を尊重し、一言言ってやりたいのを親もぐっと呑み込んで、我慢している。
もちろんその間生活費もかかっているだろうし、学校に行くなら、また学費もかかる。
少なくとも、剛君もゆみ子も慶子さんの親もそうやって子供が自分で選び、自分で考え自立していくのを見守っていたんだと思う。
家の母は、人より上か下か、えらいかえらくないか、特か損か、利用できるかできないか、敏感なのは自分の気持ちだけ、人の気持ちがわからない。
父親は単身赴任で自宅に帰るのは土日だけ。兄はまた戻らなくなり、家では母と2人だけ。
何もかも自分の思いどおりにならないことにストレスを感じていたのか、母の買い物はますますひどくなり、私は母のストレスの捌け口となっていった。