私が、基督教会へ足を運ぶようになったのは、学校の礼拝より遅く始まるから、朝ゆっくりできる。また、学校は制服で行かなければならないが、教会は私服でよい。そんな理由から。
そして、もうひとつ。
学校ですれ違いざまに見かけた2つ上の上級生が、その教会に通っていることを聞いたから。
学校の廊下ですれ違った時に見かけた上級生、その気品のある美しさに、魂を持って行かれそうになったくらいだ。
「誰~?あの人?」
「綺麗でしょう。N高にファンクラブがあるらしいよ」
「わかるわあ、綺麗だもん 知り合いになりたいわあ」
「あら、うちの教会に来てるよ あの人」
「え~!行きたいなあ」
教会に行き出したのはそんな不純な動機も。
いつもすれ違い様に見かけるだけの彼女だったが、近くで見ても、本当に美しい人だった。
この美しさは、何だろうか・・・
たった2つしか歳は違わなかったのに、落ち着いていて、控えめで上品。
地味な色の洋服は、化粧っ気がなく、彫りの深い彼女の知性をより一層際立たせ、背中まである髪はふわふわと風になびいた。
牽かれたのは、向学心 大勢な彼女の内面から沸き出るような、知性だったのかも。
実際、教会の青年会に属する私達の年代は、彼女と同じ、2つ上の人が多く、私が、教会に行くようになった時には、もうそれぞれ進路の話をしていた。
進路か・・・
私も家を出てみたいなあ、独り暮らしを経験してみたい。
そう思っていたけど、うちの家では、どんなに努力をしたところで、聞いてはもらえないだろう。
今でさえ、私立で「金食い虫」と言われている。
勉強のできる兄に懸けてる母は、私を外に出そうとは思ってないだろう。
教会に来ていた先生方も彼女に一目置いていた。
神様はひとりの人に知性や美貌や裕福な家 と、2つも3つも与えるのだ と、普通なら嫉妬心も芽生えそうだが、それさえも、打ち砕かれるほど、誰もが納得するオーラを放っていた。
その彼女とは、その後40年あまりのつきあいとなるのだ。