何でこうなってしまうのか
本当によくわからない。
私達は幸せな家族のはずだった。
子供達もたまには喧嘩もするが、4人とも仲が良かった。
娘などは、理想の夫婦に私達夫婦をあげて、周りの友達に吹聴していたくらいだ。
私は結婚当初から夫が不機嫌にならないよう、絶えず気を張り、明るい、面白い話題などを提供した。
そこで、蔑まれる事を言われたとしても、おちゃらけてヘラヘラ笑って誤魔化した。
それはまるで、道化師みたいに。
ただ、ただ、夫の不機嫌な顔を見たくないばかりに、そのために、いつも神経を尖らせた。
不穏な空気を感じると、すぐにその場を収めようとするのは、小さい頃から身についたスキルのようなものだった。
「どうですか、ご自宅に帰って、今までやってきたみたいにご主人と暮らすのは無理ですか?」
60代くらいの女性調停委員にそう聞かれて、私は思わず唾を呑み込んだ。
(自宅に戻れば、また私は夫からのモラルハラスメントを受けてしまう)
それは、私の努力では、もうどうにもならないこと。
「もう、無理です。私は今まで長い間頑張ってきたんです」
そう告げると、不覚にも涙声になってしまった。
私だってこんなふうに離婚に向けて、婚姻費用調停など、起こすことになろうとは夢にも思わなかった。
子供達がみんな独立したら、どこか、景色の良い温泉や、コロナが収束したら、疲れない程度の海外旅行にも行くんだとばかり思っていた。
そして時々連れて帰ってくる孫ちゃんの成長を見ながら、お互いにに支えあって生きていくんだとばかり思っていた。
普通の夫婦みたいに。
どうしてそれができないんだろう。
どうしてそれができなかったんだろう。
どこから歯車が狂い始めたんだろう。
きっと今まで、本音で話すことができなかったからだろう。
本音で話したところで、モラハラ夫は、自分に逆らったと捉えて、また恐ろしい形相で、不機嫌に怒鳴り散らすだけ。
「怒らせるあすみさんが悪い」
お姑は言った。
自分の気持ちを置き去りにしたまま、とにかく毎日の生活のために、忙しく動き回った。
それはきっと夫も同じ。
私達の生活のために、夫は会社で、下げたくない頭を下げ、いつもニコニコ、仏の小川と異名がつくほど、頑張ってきたのだ。
それなのに、何故。
「辛抱しなさいよ、あすみさんは思いやりが足りない」
お姑はいつも夫の肩をもち、私は壊れそうだった。
婚姻費用分担調停は二人の調停委員を前に話を聞いてもらえたが、我がモラハラ夫は、たぶん受けが良かったんだと思う。
2回目に部屋に戻った時には、2人調停委員はニコニコしながら私を迎えた。
夫のこと。
「いつも振り回されてるんですよ」
と、被害者を装って、その時ばかりは心の広い人格者になったのだろう。
いや、そうなんだ。
夫の評判はすこぶる良かった。
だから私が、家の中のモラハラを訴えたところで、誰も信じない。
正気ではないことを強制される。「とんでもない奴なんですよ、困ったもんです」
と笑って流す。
2回目の調停は来月。
夫の収入の証明書を提出してから、再度話し合いがあるそうだ。
早く終わらせたい。
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