夫は帰省中。
昨日は夜、ママ友とご飯を食べにでかけた。
コロナで自粛期間が長かったので、友達と食事なんて久しぶりで夫の食事も気遣うことなく本当に楽しかった。
こんな時間はつくづく必要だなあと思う。
子供達が離婚を望んでいない以上は夫とそれなりに楽しむ方向を模索しながら生活していかなければならないとなると、ママ友とのこんな時間は重要な要素となるかも知れない。
それに今までだって夫のありえない自己中に振り回されながらも、臥薪嘗胆で乗りきってきたのは、紛れもなく子供達が健やかに成人するためであり、また私と毒母との確執で帰る家や相談する母がいなかったことが大きい。
何かあったら相談する母が、夫を王様のように育てた張本人のお姑さんなんだから、夫の悪行にも
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「そんなことたいしたことじゃないじゃない~(笑)」
と笑いとばされて終わってしまい、「もう少し思いやりを持ってあげてちょうだいよ」といつも悪いのは夫じゃなくて私になってしまう不思議。
いつも夫や義姉の思うとおり、やりたいように子育てしてきたお姑。
母から聞く義姉の家庭は、姉の不憫さをかばうことばかり聞いていたが、ここに来て、それはちょっと違ってるんじゃないかと思えてきた。
お姑から聞く義姉の話しは、義姉が嫁ぎ先のお姑からいじめられて、働かない夫の代わりに娘が必死に働かなければならなくて可哀想というものだったが、果たしてそうだろうか・・・。
私は姑との同居の経験がないから経験した人からすると怒られるかも知れないが、
義姉のお姑さんもやはり、実母の開いていたお店の上顧客で聞いた話しでは、2人の息子の幼稚園の送り迎えやら、家のことは全部、お姑任せ。
義姉は家族4人分の食費60000円を入れるだけで、働いたお金は自分の思うようになっていたという。
「休みの日くらいは家のことを手伝ってもらいたい。掃除くらいしてほしい」
と常々不満に思っていたようだ。
義姉は結婚するまでキッチンに立った姿を
「見たことないなあ」
と、夫もいうくらいだから、台所仕事が苦手だったんだと思う。
それは、兄弟姉妹の多いお姑さんが、何もしなくても上のお姉さん達がやってくれていたそうだから、お姑自身が台所仕事の経験によるものだと思う。
「煮魚が食べたい」
と言ったお舅に作り方がわからないと伝えると
「鍋に水、お酒、砂糖と醤油を入れて煮るだけだ」
というと
「出てきた鯛の煮付けがうろこがついたままギラギラして出てきたわい(笑)」
と夫と結婚したばかりの時に笑い話しをしてくれたから、お姑はほんとに何もしたことがないお嬢さまだったんだと思う。
そんなお姑が料理の嫌いな義姉に教えるとは考えにくい。
私が小さい時から兄や友達のお下がりばかり着せられていたという話しを何かの話のついででした時には
「私は美苗には、いつも可愛い洋服を着せてあげてたわあ~」
と自慢気に言っていたから、「嫌!」と言ったことはさせず、自分がそうされたように、欲しいものを与えて蝶よ花よと育てたんだと思う。
小学5年生の時にはあまりの我が儘ぶりに学校の担任の先生から注意を受けたというから夫にも負けず劣らずの自己中だったかも。
まあ、小学生の時だからあることですけどね
百貨店に勤める義姉はポジションもそれなりで仕事が大好き。
悲壮感はない。楽しくて楽しくてしょうがないという感じだ。
お姑さんが言うように
「夫が働かない夫から美苗が働かなくちゃあいけなくなって可哀想」
と言うがそんな悲壮感はまるでない。
小さかった子供達を連れている時から、ブランドバッグに頭の先から爪先までバッチリ決めた姿は、暮らしぶりに余裕を感じた。
義姉は働かされてるんじゃなくて今の仕事が大好きでずっと続けたいと思ってるんだ。
「あすみさんは専業主婦でいいじゃない、美苗は苦労をしてるのよ あすみさんはほんとに幸せよ」
とお姑さんに何度も言われたけど、義姉さんのようにモラハラ夫と生活していても自分の思う通りに生きている義姉こそ、自己実現でき自分の人生の真ん中を歩んでいるんだと思う。
お姑は義姉や夫のことをかばい、
「苦労をさせられている」
「ストレスがたまっている」
「思いやりを持ってあげてちょうだい」
と、いつも被害者のように言うけどそれは自分達をかばう上手い言い回しに過ぎないと思えてならない。
少し遅い気はするけど、私自身、どんな風に過ごしたかったのか思い巡らしてみようと思う。