昨日、老人専用の自立マンションに住んでいる父のところにも、作った八宝菜を持って行った。
美味しく食べてくれたようで良かった。
父のところには、1週間に2回くらい、作ったおかずを持って行く。
そのうち1度はお休みの日に行き、母の遺影のある仏壇に手を合わせて、父にコーヒーを入れてあげて一緒に飲むことにしている。
昨年は本当に疲れた年で、家の中を片付けながら、螺旋階段を昇り下りしているような生活をなんとかして欲しいと、お線香をあげながら何度、母に拝んだことだろう。
拝み終わると、父が聞く。
「なんか、変わったことはないかね」と。
にっこり笑って
「何にもないよ」
父を心配させたくない。兄が籍を抜き、家族でなくなった今、娘くらいは幸せに暮らしていると思ってもらいたい。
アパートを借りてひとり暮らしをしているとも言ってない。
でも、父は手を合わせる時間が長いほど、何かあったんじゃなかろうかと、内心、心配していたかも知れない。
お見合いで結婚した夫のことを
「あいつはいい奴だ」
と、結婚を強く薦めてくれたのは他でもない、父だった。
難しい亭主関白な夫と思いながらも、なんとか毒矢をかわして今まで上手にやってきた。
子供達も成人した。
やっと夫と2人、のんびりとはいかないまでも、普通な老夫婦となり、普通な老後を迎えるんだと信じていた。
「おまえが学費を払え!」
「生活は?生活していけないよ?」
「知るもんか!もっといい仕事探せばいいじゃないか!夜も働けよ!」
困った時や、苦難にあった時に助け合うのが夫婦だと思っていたけど、夫にとって私は使用人。
「学費が大変になるから」と促されて働きはじめたのに、翌年夫は定年前にあっさりと会社を止めてしまった。
この6年の派遣社員のお給料をあわせても、夫が定年まで勤めた時のお給料には到底 及ばない。
『モラハラ』という家庭内で行われる虐めを知らなければ、私はこのまま我慢して添い遂げなければいけないと思っていたかも知れない。
年に2回のプレゼントや花束で「あすみさんは大切にされているのよ」とお姑や、ママ友に言われる。
「こういうのは止めて欲しい」「これは嫌なんだけど」
そんなことを夫に伝えたところで、
「そんなちょっとくらいのことで」
「花をやったじゃないか!」
花は嬉しいけど、品物じゃなくて気持ちの問題なのに、夫にはそれが伝わらない。
どうしてだろう・・・
夫婦でも、家族でも大変なことが起こった時、具合が悪くなった時、心配したり、話合ったりするんだと思っていた。
父は孫である子供達のこと、私のこと、いつも気にかけて心配してくれている。
夫は確かに優しい時もあるし、子供達との関係も良好だと思う。
『モラハラ』の対処の仕方がわからず、罪悪感にずっしり心が重くなる。