来月2日で、実母が亡くなって4年になります。
普通の親子関係で過ごしたら、一緒に旅行に行ったときの思い出や、手を引かれて小学校に入学した時の思い出など、思い出されて、感慨深いものがあるのでしょうけど、母との良い思い出はほとんどありません。
病院で『臨終』を聞いた時には家族がそばにいて泣きながら看とる そんな場面がドラマなどでよくありますね。
私は母が亡くなり正直、ほっとしたくらいです。
涙もでませんでした。
そんな話はよそではできません。私達親子を知らない人はどんな親不幸ものかと言われるだけですから。
亡くなるのを看とったのは、ずっとそばにいた父だけでした。
兄はもう何度も電話をかけても着信拒否の状態で、何年も家には帰ってなかったみたいだし、私はGWで帰ったものの、その合間の仕事でまた戻りましたが、その日に亡くなり、とんぼ返りしました。
母の容態がよくないことは仕事先には知らせておいたし、休めないことはなかったのですが、私はそばにいたくなかったのかも知れません。
家族で駆けつけたときには、もうお葬式場の会館でした。
白装束で布団に横たわる母の顔は、時々、ほんの少しだけ、私に見せていた優しい清らかな顔でした。
母はいつもヒステリックに怒ってばかりでしたから、嫌な印象しかありません。
それに、親戚とのトラブル、仕事仲間とのトラブル、友達とのトラブルなど、数知れません。
お姑が、まだ母が生きていたときにぽつりと私に言いました。
「あすみさんのお母さんは、見た目も美人だし、センスもいいし、お料理なんかほんと上手なのに・・・性格が・・・ちょっとねえ・・・惜しいわねえ・・・」
実母のことをそんなふうに言われたら、普通の娘なら腹も立てるでしょうけど、お姑の言うことはそのとおりだったので、腹も立ちませんでした。
母も私の知らないところで、いろいろ嫌なことを言われていたでしょう。賢い母なので、私の耳に入れないだけ。
「あすみさん、私が親戚って言わないでちょうだいね」
それだけで母のせいでどんなに嫌な思いをしてるか察しがつきました。
「ごめんね お母さん・・・」
小さい頃に一家の大黒柱を戦争で失って家も焼けて母は幼い弟たちの面倒みるために、自分のことは後まわしで、悲しみにくれる暇などなかったのかも知れません。
育まれる情緒が育まれなかったのでしょうか
もし、そんな状況が母のような人を作り出し、周りに被害や迷惑をもたらすのだとしたら、昭和の動乱がもたらす暗い歴史はまだ連鎖し、暗い影を落としていると言えるかも知れません。
死に様はその人の生き様です。
どれほどの人がその人の死を悼み、嘆き、惜しい人を亡くしてしまった と悲しむでしょう。
母のお葬式に参列したのは親戚以外には、たった5人でした。
みんなの心に残るお葬式とは - あすみとモラハラ夫との13000日
たくさんのお友達がいたことを覚えていますが、誰一人、お葬式には来ませんでした。
愛玩子の兄でさえ姿はありませんでした。