それにしても、私の着るものは、兄やからだの大きい子のお下がりばかりで、買うのも、年に1回くらいだったのに、高校生になってから、たびたび洋服も買ってくれるようになったのは、どうしてかな・・・
今まで、我慢していたから、普通になっただけなのかな・・・
前の年の夏の終わりに祖母が亡くなった。
くも膜下出血 62歳だった。
私は、祖母のことが大好きだった。
生まれたときの写真も祖母が抱っこしてくれてる。
お正月や、夏休みには遊びにきてくれて、母の炊事 洗濯を手伝い、私の手をつないで、坂の下の市場まで散歩しながら、よくお買い物にでかけた。
「おねだりしちゃあ、駄目よ」
出かける時にはいつも、母にそう釘をさされたが、祖母は、ちょっとしたガムやチョコを買ってくれて
嬉しかった。
祖母は突然 逝ってしまった。
亡くなる数ヶ月前にも 私の家に泊まりにきていた。
母の洋裁部屋で3人でいた時に、唐突に祖母が母に
「あんたは、何で、あすみのことを可愛がらんの?」
唐突過ぎてびっくりして、祖母と母の顔を交互にみていたが、祖母は椅子に座った自分の足を撫でながら、答えるまでじっと母を見据えていた。
私はその時間が長く長く感じられたが、母は忙しく手を動かしていただけで、なにも答えなかった。
「・・・・・・もうすこし、あすみを可愛いがってあげんとね」穏やかにそう、祖母は伝えた。
祖母は時々しかやって来ないのに、母の兄に対する態度と、私に対する扱いが違うことに気がついていたのだと思うと、何故かとても悲しかった。
子供の洋服は、制服があるといっても、育ち盛りで、次々にいるものだ。
兄には、メーカー品の物をよく買ってきたが、
「私のは?あすみのは?」
と聞くと、母は決まって
「あすみはお兄ちゃんのがあるでしょ」
と、セーターやカーディガンなどは兄のお下がりばかり。
兄は、母に似て色白で、淡いグリーンや、黄色がよく似合い、男の子、女の子どちらでも着られそうなものを買ってきては、兄に小さくなると、私にそれが回ってきた。
セーターはいいけど、カーディガンなど、ボタンのあるものは、うちあわせが反対になるので、いつも(あれ?)と思いながら着ていた。
時々父が
「あすみも欲しいよねえ」
と言うと、母が
「だってこの子、色は黒いし、男の子みたいで、何を着せても似合わんもん、いいんよ、お兄ちゃんの着とけば」
と言って終わるのだった。
だから、私がいつも着ていたのは、茶色や黒や紺色。
綺麗なピンク色や、フリルやギャザーのスカートにとても憧れた。
何かにつけて差があったのを、祖母はちゃんと見ていた。
毎年、お正月になると、私にも買ってきたお洋服が3枚くらい畳んで置いてあった。
「わあ、可愛いね!私の?」
「そうよ」
夢中で、お洋服を広げた。
白いカーディガンには、りょうかたのところに薔薇の花の刺繍がしてあり、パフスリーブになってとても可愛いかった。
ジャンパースカートも、裾が広がり可愛いかった。
「おばあちゃんがお金を・・・」
そういいかけて、母は口をつぐんだ。
毎年、お正月に「あすみに洋服を買ってあげなさい」とお金を送ってきていたと、ずっと後になって知った。
祖母は私のことをとても可愛いがってくれて、とても心配してくれていた。